江戸前期の草創、酒造の守護神、昭和復興、直会で「新川締め」
[住所]東京都中央区新川1-8-17
[電話]-
新川大神宮(しんかわだいじんぐう)は、東京都中央区新川にある神社。御朱印の有無は不明。
江戸時代前期の寛永2年(1625年)、慶光院周清上人が徳川2代将軍徳川秀忠から江戸代官町に屋敷を賜った。
そこで、邸内に伊勢の神宮(伊勢神宮)の両正宮である皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の遥拝所を設けたのに当宮は始まる。
一方で、往古、江戸城内紅葉山に伊勢神宮の御分霊を奉斎し、社殿が創立されたものを勧請したとも伝わる。
その後、明暦3年(1657年)の明暦大火による類焼で、霊岸島と呼ばれた替地として当地を賜り、社殿が造営され、以来、当地の産土神として崇敬された。
隅田川に通ずる水路(新川)を拓き、水運の便の良さもあって、当宮を中心として酒問屋が軒を連ねて殷賑を極め、酒問屋の守護神として崇められた。
毎年新酒が着くと初穂とともに神前に献じ、その後販売するのが常だった。当時から現社号あるいは新川神宮を称した。
『江戸名所図会』によれば、社地は現在の数倍の規模であり、いなり・弁天・三峯・天神・いなり・富士・八百万神・牛頭天王の末社が存在したという。
当社の御祭神は天照大御神・豊受大御神。明治初年(1868年)、天祖神社と改称。ただし、『東京名所図会』には「新川太神宮」と記載されている。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月、戦災により社殿は灰燼に帰し、その後、新川も戦災焦土で埋め立てられ、付近は旧態を失った。
昭和27年(1952年)、酒問屋の有志一同が社殿の再建を発起し、同年10月17日に竣工して遷宮した。昭和30年(1955年)3月、現社号に改称した。
昭和57年(1982年)には再建三十年祭が、平成24年(2012年)には再建六十年祭が斎行された。平成29年(2017年)、当地遷座360周年、再建65周年を迎えた。
例祭は、昭和再建を果たした10月17日。伊勢神宮の神嘗祭の日でもある。富岡八幡宮より祭主を迎え、例大祭が執行される。
そこでは酒類業界をはじめとする崇敬者一同の商売繁盛、家内安全、健康長寿などを祈願し、御守を授与する。直会では伝統の「新川締め」も披露される。
【ご利益】
産業振興、事業成功、酒造、開運招福(公式HP)

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新川大神宮(しんかわだいじんぐう)は、東京都中央区新川にある神社。御朱印の有無は不明。
江戸時代前期の寛永2年(1625年)、慶光院周清上人が徳川2代将軍徳川秀忠から江戸代官町に屋敷を賜った。
そこで、邸内に伊勢の神宮(伊勢神宮)の両正宮である皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の遥拝所を設けたのに当宮は始まる。
一方で、往古、江戸城内紅葉山に伊勢神宮の御分霊を奉斎し、社殿が創立されたものを勧請したとも伝わる。
その後、明暦3年(1657年)の明暦大火による類焼で、霊岸島と呼ばれた替地として当地を賜り、社殿が造営され、以来、当地の産土神として崇敬された。
隅田川に通ずる水路(新川)を拓き、水運の便の良さもあって、当宮を中心として酒問屋が軒を連ねて殷賑を極め、酒問屋の守護神として崇められた。
毎年新酒が着くと初穂とともに神前に献じ、その後販売するのが常だった。当時から現社号あるいは新川神宮を称した。
『江戸名所図会』によれば、社地は現在の数倍の規模であり、いなり・弁天・三峯・天神・いなり・富士・八百万神・牛頭天王の末社が存在したという。
当社の御祭神は天照大御神・豊受大御神。明治初年(1868年)、天祖神社と改称。ただし、『東京名所図会』には「新川太神宮」と記載されている。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)3月、戦災により社殿は灰燼に帰し、その後、新川も戦災焦土で埋め立てられ、付近は旧態を失った。
昭和27年(1952年)、酒問屋の有志一同が社殿の再建を発起し、同年10月17日に竣工して遷宮した。昭和30年(1955年)3月、現社号に改称した。
昭和57年(1982年)には再建三十年祭が、平成24年(2012年)には再建六十年祭が斎行された。平成29年(2017年)、当地遷座360周年、再建65周年を迎えた。
例祭は、昭和再建を果たした10月17日。伊勢神宮の神嘗祭の日でもある。富岡八幡宮より祭主を迎え、例大祭が執行される。
そこでは酒類業界をはじめとする崇敬者一同の商売繁盛、家内安全、健康長寿などを祈願し、御守を授与する。直会では伝統の「新川締め」も披露される。
【ご利益】
産業振興、事業成功、酒造、開運招福(公式HP)

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