伊勢内宮の別宮・伊雑宮を勧請した天祖・神明、江戸中期に興隆
[住所]東京都中央区八丁堀3-6-6
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八丁堀天祖神社(はっちょうぼりてんそじんじゃ)は、東京都中央区八丁堀にある神社。御朱印の有無は不明。

窮屈そうにビルの隙間に挟まっている社地で、間口もぎりぎり鳥居が入る程度。鳥居の色が水色だったのが印象的。

江戸時代前期の寛永元年(1624年)、伊勢長官出口市之正が伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の別宮である伊雑宮を江戸日本橋道3丁目に奉斎するに始まる。

寛永10年(1633年)、八丁堀松屋町に替地300坪および門前地をもって、幕府の命により遷座した。

江戸時代中期の宝暦元年(1750年)2月、名主長滞次郎太郎『伊雑大神宮御縁起』によれば、当時氏子は松屋町・岡崎町・長澤町・元島町・仲町の5ヶ町で、縁日には周辺地町にもおよぶ賑わいだった。

幕末から明治初期にわたり、衰頽はなはだしく、鎮座地も私有地となったという。明治6年(1873年)1月17日、日枝神社神職による兼務となった。

その後再興したのか、大正12年(1923年)の関東大震災まで、毎月26日を縁日とし、八丁堀一円、本所深川よりも詣でる者が多く、賑わったという。

御祭神は伊佐波登美命・王柱屋姫命。境内掲示石碑には「伊勢大神宮」ともある。

天祖神社や神明神社は通常、伊勢内宮、つまり天照大神を御祭神とするが、当社の場合は、同じ伊勢内宮でもその別宮を勧請している。

ただし、伊雑宮の御祭神は天照坐皇大御神御魂。当社の御祭神は、伊雑宮とは式内・志摩国一宮を争う伊射波神社の御祭神に該当する。

この式内社は、志摩国答志郡の「粟島坐伊射波神社二座」であり、伊雑宮と伊射波神社をそれぞれ一座に充てる説もある。

当社は伊雑宮を勧請と伝えつつ、伊射波神社の御祭神を祀るという、伊雑宮・伊射波神社の一体さ、ある意味ではそれぞれ式内一座という説の傍証となっている。

どちらにしろ、通常の天祖神社や神明神社ではないところに、当社の特徴がある。

【ご利益】
縁結び、開運招福、夫婦和合、家内安全
八丁堀天祖神社 東京都中央区八丁堀
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