旧福田村の鎮守、源氏所縁、昭和の東北新幹線計画道で現在地遷座
[住所]東京都中央区日本橋本石町4-5-16
[電話]-
白旗稲荷神社(しろはたいなりじんじゃ、白幡稲荷神社)は、東京都中央区日本橋本石町にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳。奈良時代初期の和銅4年(711年)の創立という記録もあるが不定。往昔、日本橋本石町3丁目銀町のあたりを福田村といい、その鎮守の神として祀られた。
白旗は平安時代、源義家が奥州征伐の途次、白旗を社頭に立て、祈癒したことによる。江戸時代後期の『狂歌江都名所図会』に、下記の歌などが乗っている。
江戸時代中期の享保3年(1718年)から大寿院(大壽院)が別当を勤め、小野大学と称して神勤、八世小野秀麿に至り、明治を迎え、神勤が免ぜられた。
御祭神は宇迦之御魂神。明治6年(1873年)に日枝神社、あるいは明治16年(1883年)に神田神社の兼務社となった。資料によって異同があるが、神田神社が正しいようだ。
大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により社殿をはじめ諸施設をことごとく焼失。その後ただちに氏子崇敬者の奉賛により、社殿・社務所が復興した。
昭和51年(1976年)3月、東北新幹線計画道にあたり、社地を現在地に移し、鉄筋コンクリート造流造朱塗の社殿をはじめ、社務所その他諸施設を整えた。
『東京名所図会』には「末社に金刀比羅の社あり」とあるが、現在は見当たらない。本殿に合祀されたものか。
【ご利益】
地域安全、家内安全、武運長久・勝運

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白旗稲荷神社(しろはたいなりじんじゃ、白幡稲荷神社)は、東京都中央区日本橋本石町にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
創建年代は不詳。奈良時代初期の和銅4年(711年)の創立という記録もあるが不定。往昔、日本橋本石町3丁目銀町のあたりを福田村といい、その鎮守の神として祀られた。
白旗は平安時代、源義家が奥州征伐の途次、白旗を社頭に立て、祈癒したことによる。江戸時代後期の『狂歌江都名所図会』に、下記の歌などが乗っている。
望月楼現在も門扉には笹竜胆紋と抱き稲紋があり、源氏所縁の神社であることを示している。
鳥居こそ 赤く色どれ 平家かた 宮は源氏の 白旗稲荷
末のや
玉垣の 朱い平家に 見ゆれども 源しるし しら旗稲荷
江戸時代中期の享保3年(1718年)から大寿院(大壽院)が別当を勤め、小野大学と称して神勤、八世小野秀麿に至り、明治を迎え、神勤が免ぜられた。
御祭神は宇迦之御魂神。明治6年(1873年)に日枝神社、あるいは明治16年(1883年)に神田神社の兼務社となった。資料によって異同があるが、神田神社が正しいようだ。
大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により社殿をはじめ諸施設をことごとく焼失。その後ただちに氏子崇敬者の奉賛により、社殿・社務所が復興した。
昭和51年(1976年)3月、東北新幹線計画道にあたり、社地を現在地に移し、鉄筋コンクリート造流造朱塗の社殿をはじめ、社務所その他諸施設を整えた。
『東京名所図会』には「末社に金刀比羅の社あり」とあるが、現在は見当たらない。本殿に合祀されたものか。
【ご利益】
地域安全、家内安全、武運長久・勝運

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