常盤橋と常磐町、道灌の額面、水神大神と産千代稲荷、昭和34年奉納額
[住所]東京都中央区日本橋本町1-8-11
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常盤稲荷神社(ときわいなりじんじゃ、常磐稲荷神社)は、東京都中央区日本橋本町にある神社。近代社格では無格社。御朱印はない。

室町時代の長禄元年(1457年)、太田道灌による千代田城築城の際、城の守護神として京都伏見稲荷の御分霊を勧請して創建、常盤稲荷と称された。

徳川幕府開府後、江戸城郭の拡張工事が行われ、大橋と呼ばれた橋の近く、現在の大手町2丁目の江戸通り上付近に遷座した。

この大橋が、当社の社号にちなみ、常盤橋に改称された。そのうち、一帯は常磐町とも呼ばれ定着したが、もとを正せば、これも当社にちなむことになる。

その後、旧日本橋長浜町(現 日本橋室町1丁目、本町1丁目周辺)4番地の日本橋魚市場内に遷座した。当時は境内社に道灌神社・江戸神社・青淵神社・祖霊社などがあった。

江戸時代中期の宝暦年間(1751年-1764年)の頃まで、社殿に掲げられていた太田道灌の額面には、下記の歌が記されていたという。
名に高き 蘆のなぎさの 葭原に 鎮めまします 常盤の神
明治6年(1873年)1月、神田明神の兼務社となり、9月に神田明神境内に市場の守護神として祀られていた水神大神(罔象女神)が当社の相殿として祀られた。

水神大神は大市場交易神とも称され、もとは大阪の神で、区内佃の住吉神社とも関わる。ともかく、盛大に執り行われた水神祭は、9月5日-7日の3日、神輿・山車の行列美々しく、各町を練り回ったとされる。

魚商連中が商売繁昌を祈るためのもので、長浜町の水神を小田原町に祀り、往時は神田祭・三天王祭とともに大江戸の名物行事だったという。

明治34年(1901年)、水神大神は再度神田神社境内に遷され、水神社と改称、築地市場の守護神として奉斎された。その後、築地市場内にも遥拝所が設けられた。

ただし、罔象女神は現在も当社の相殿神であり、当社の御祭神は倉稲魂命で、相殿神が罔象女神。

関東震災後の区画整理により換地が行われ、現在の社地に鎮座した。現在は本町一丁目町会事務所が隣接している。

末社だった産千代稲荷神社(倉稲魂命・三穂津比売命)も合祀されている。三穂津比売命は大国主命の后神で、稲荷社に祀られているのは珍しい。

この産千代稲荷神社は、安産祈願の参詣者が極めて多かったと伝えられ、御礼参りとして桜の若木を奉納する風習があり、魚市場は桜花爛漫の景観だったという。

また、境内には昭和34年(1959年)の銘がある魚市場関係者らによる奉納額が掲示されている。そこに記された店舗は形を変えつつ、多くが老舗として現存している。

【ご利益】
大漁満足、商売繁盛、事業成功、安産
常盤稲荷神社 東京都中央区日本橋本町
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