もとは富田稲荷、戦後に社地変遷、ビルとビルの合間
[住所]東京都千代田区麹町5-6-4
[電話]-

千代田稲荷神社(ちよだいなりじんじゃ)は、東京都千代田区麹町にある神社。御朱印の有無は不明。

新宿通りの麹町六丁目の交差点から程近く、ビルとビルの合間、小さな神域に鎮座する。当社の前身は富田稲荷社。伝承によれば、江戸時代、番町に住む富田某という旗本の屋敷神だった。

幕末、明治になり、旗本の没落に伴い、当地旧麹町八丁目町会の人々が奉仕するようになった。大正9年(1920年)頃まで、現在の6番地にあった村髙山栖岸院という寺院の境内西側に祀られていた。

栖岸院は杉並区永福に移り、その跡地は岡常吉の所有となったが、当社は引き続き安置され、祀られた。昭和になり、太平洋戦争を向かえて昭和20年(1945年)5月、大空襲により社宇がすべて焼失した。

戦後になり、昭和24年(1949年)、明治からの政商である大倉喜八郎の好意により、1番地の所有地である現在の鉄道弘済会の左側の一遇に神域を借りた。

また、2番地の杉田屋印刷の杉田弥太郎が京都伏見稲荷より御神体を勧請して、麹町5丁目町会初代会長である葛和栄一らとともに一間四方宝形造りの社殿を建立した。

その際、現社号となった。昭和26年(1951年)、もと麹町八丁目・九丁目町会が併合した麹町五丁目町会が誕生、毎年4月に初午の例大祭を執行してきた。

昭和30年代(1955年-1964年)に入り、当社地は、大倉から名古屋の南山大学に、さらに鉄道弘済会に移り、昭和39年(1964年)、移転問題が起きた。

時の町会長だった瀬谷一良、顧問の岡田庫三、岡常吉と親交のあった湯田忠義の努力により、現在地の6番地に再び神域を借りることになった。

氏子崇敬者から寄付された様々な樹木を境内に植え、新社殿を建立、昭和48年(1973年)8月8日、遷座して後、町会の氏神となった。

昭和62年(1987年)、ビル建設計画にともない、その5月末、日枝神社内に遷座した。それからは毎月10日、日枝神社本殿において、月並祭を斎行した。

平成12年(2000年)7月、ビル完成に伴い、ビル公開空地の一角に共同事業者による寄贈の新社殿が完成し、麹町の防災防火の守護神として、鎮座した。

この地は奇しくも、江戸の昔からの神域であった栖岸院跡地に相当する。

なお、渋谷区道玄坂、秋葉原駅近くの台東区台東1丁目八王子市裏高尾町にも同名の神社がある。また、中央区日本橋小伝馬町には千代田神社がある。

【ご利益】
商売繁盛、防災防火
千代田稲荷神社 東京都千代田区麹町
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