道灌が創建、城内遷座後、渋谷百軒店に、境内に中川稲荷
[住所]東京都渋谷区道玄坂2-20-8
[電話]03-3461-9306
千代田稲荷神社(ちよだいなりじんじゃ)は、東京都渋谷区道玄坂にある神社。近代社格では無格社。現在は金王八幡宮の兼務社で、神職は常駐していない。御朱印はない。
室町時代の長禄元年(1457年)、太田道灌が千代田城の築城の時、守護神として京都伏見稲荷を勧請し、創建された。
徳川家康の江戸入府後、千代田城改め江戸城の城内、現在の皇居内紅葉山に遷座、さらに安土桃山時代の慶長7年(1602年)、江戸城拡張の際に城内から渋谷宮益に移した。
江戸城の旧名を取り、千代田稲荷と称したという。千代田稲荷に関しては、現在の中央区日本橋小伝馬町に鎮座する千代田神社、八王子市裏高尾町の当社と同名の神社にも由緒が伝わる。
『新編武蔵風土記稿』上渋谷村の条にも「稲荷社」と記載され、「千代田稲荷と號す」とある。北谷稲荷神社と同じく「小川織部持下同」ともある。
幕末になり、孝明天皇の妹である和宮親子内親王の将軍家御降嫁に際し、道中を守護したとされ、石の大鳥居と桜樹一本を寄進、『江戸名所図絵』にも記載された。
大正12年(1923年)、関東大震災の年に西武グループの祖である堤康次郎による渋谷百軒店(ひゃっけんだな)開発に伴い、遷座した。
ちなみに百軒店は、震災後、下町の名店を多く誘致し、道玄坂周辺が渋谷を代表する繁華街となった契機になった。
昭和20年(1945年)、戦災により社殿など建造物は焼失したが、戦後になり仮殿で維持が進められ、適地を求め、現在地に遷座した。
同時に元梨本宮家の邸内社を譲り受け、それを新社殿とし、昭和27年(1952年)に再整備が完了した。
従来より当地の守り神とされ、当地に居住していた中川久成伯爵の邸内社と推定される中川稲荷社を末社とした。
御祭神は宇迦之御魂命。例祭は9月14日・15日で例大祭。2月初午の日に初午祭が斎行される。
なお、八王子市裏高尾町の他、当社の分社である台東区台東1丁目と、千代田区麹町5丁目に、当社と同名の神社がある。
【ご利益】
商売繁盛、産業振興、事業成功
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千代田稲荷神社(ちよだいなりじんじゃ)は、東京都渋谷区道玄坂にある神社。近代社格では無格社。現在は金王八幡宮の兼務社で、神職は常駐していない。御朱印はない。
室町時代の長禄元年(1457年)、太田道灌が千代田城の築城の時、守護神として京都伏見稲荷を勧請し、創建された。
徳川家康の江戸入府後、千代田城改め江戸城の城内、現在の皇居内紅葉山に遷座、さらに安土桃山時代の慶長7年(1602年)、江戸城拡張の際に城内から渋谷宮益に移した。
江戸城の旧名を取り、千代田稲荷と称したという。千代田稲荷に関しては、現在の中央区日本橋小伝馬町に鎮座する千代田神社、八王子市裏高尾町の当社と同名の神社にも由緒が伝わる。
『新編武蔵風土記稿』上渋谷村の条にも「稲荷社」と記載され、「千代田稲荷と號す」とある。北谷稲荷神社と同じく「小川織部持下同」ともある。
幕末になり、孝明天皇の妹である和宮親子内親王の将軍家御降嫁に際し、道中を守護したとされ、石の大鳥居と桜樹一本を寄進、『江戸名所図絵』にも記載された。
大正12年(1923年)、関東大震災の年に西武グループの祖である堤康次郎による渋谷百軒店(ひゃっけんだな)開発に伴い、遷座した。
ちなみに百軒店は、震災後、下町の名店を多く誘致し、道玄坂周辺が渋谷を代表する繁華街となった契機になった。
昭和20年(1945年)、戦災により社殿など建造物は焼失したが、戦後になり仮殿で維持が進められ、適地を求め、現在地に遷座した。
同時に元梨本宮家の邸内社を譲り受け、それを新社殿とし、昭和27年(1952年)に再整備が完了した。
従来より当地の守り神とされ、当地に居住していた中川久成伯爵の邸内社と推定される中川稲荷社を末社とした。
御祭神は宇迦之御魂命。例祭は9月14日・15日で例大祭。2月初午の日に初午祭が斎行される。
なお、八王子市裏高尾町の他、当社の分社である台東区台東1丁目と、千代田区麹町5丁目に、当社と同名の神社がある。
【ご利益】
商売繁盛、産業振興、事業成功
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