7月浜降祭と8月例大祭で神輿渡御、牡丹餅茶屋と姥島の故事
[住所]神奈川県茅ヶ崎市小和田2-3-66
[電話]0467-52-7302

熊野神社(くまのじんじゃ)は、神奈川県茅ヶ崎市小和田にある神社。小和田熊野神社(こわだくまのじんじゃ)とも。御朱印の有無は不明。

茅ヶ崎の東部、小出に鎮座する。小出の交差点を北側へ、細い路地を進むと、赤い鐘楼が見える。その近くに神社の鳥居があり、参道が続く。

創建年代は不詳。江戸時代前期の元禄元年(1688年)再建の棟札があり、それ以前からは存在していた。そこには、「相洲大庭荘小和田村鎮守」とある。

また、江戸時代後期の弘化4年(1848年)、明治17年(1884年)、大正13年(1924年)再築の棟札と、熊野三社権現社号の古札が現存する。

御祭神は、熊野久須毘大神・熊野夫須美大神・速玉男大神・家津御子大神で、熊野大神と総称される。

摂社には姥母神社があり、安産、病気平癒の神と崇敬された。他に境内社として、厳島神社・豊受稲荷大神がある。

当社の例祭は8月2日で例大祭。前日の宵宮では、神輿の禊渡御が行われ、氏子地区を巡行する。神輿会として、小和田松和会がある。

当社の神輿は昭和54年(1979年)に制作されたもの。例大祭当日は神賑行事として演芸が奉納され、多数の夜店が参道に並ぶ。

また当社は、毎年7月の海の日に神奈川県茅ヶ崎市西浜海岸で行なわれる浜降祭(はまおりさい)に参加する一社である。

1月14日にはどんど焼きがあり、この火で団子を焼いて食べると、風邪をひかず、書初めを燃やせば字が上手になると伝わる。12月30日には茅の輪くぐりがある。

なお、当社は市内の菱沼室田の八王子神社などを兼務している。

牡丹餅茶屋と姥島の歌に関わる故事が伝わる。昔、東海道と菱沼と小和田の境あたり、小高い坂の上に牡丹餅茶屋があった。

旅人は、ここで休んで名物の粟牡丹餅を食べながら、松原越しに見える海の景色を眺めて旅の疲れを休めた。

ある日、京都の近衛なにがしという位の高い公家が東に下る途中、この茶屋でしばし休息、遥か南に烏帽子の形をした珍しい島を見た。

そこで、茶屋のお婆さんに「あの島は何と云う何処の島か」と尋ねた。お婆さんは「あれは姥島といい、小和田のものでございます」と答えた。

これを聞いたお公卿さんは矢立を取り出しすらすらと下記の和歌を詠んで、その短冊を茶屋のお婆さんに与えたという。
相模なる 小和田乃浦の 姥島は 誰をまつやら ひとり寝をする
この頃、伊豆の漁師達は盛んに漁区の拡張を図り、陸より一里離れた島は伊豆のものであると宣言し、姥島も伊豆領になり、小和田村に談判に及んだ。

これを聞いて村人達は、名主以下組頭百姓惣代一堂に会して対策を講じたが、なかなか名案も浮かばず思案に暮れていた。

その時、名主九右ェ門はふとこの和歌の短冊が牡丹餅茶屋あることを想い出し、早速これを証拠として、姥島は小和田の領分であると主張した。

伊豆側も高貴な公卿の書いた短冊を見て、もはや強硬な主張もできずと引き下がったので、小和田の漁師たちの生活も守られることになった。

今でも菱沼のバス停付近を「ぼたもち」とか「茶屋」と呼び、それより東を「坂下」と呼んでいる。

ちなみに当社境内にある歌碑には建立者、年代ともに明記されていないが、一説によると土地の人がこの歌に感激して碑にして建てたという。

【ご利益】
海上安全、大漁満足、交通安全、産業振興、家内安全
熊野神社 神奈川県茅ヶ崎市小和田
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