源義家の創立、江戸期の棟札、7月浜降祭と9月例祭で神輿
[住所]神奈川県茅ヶ崎市赤羽根468
[電話]0467-82-6725 - 鶴嶺八幡社
神明大神(しんめいおおかみ)は、神奈川県茅ヶ崎市赤羽根にある神社。赤羽根神明大神社とも。現在は鶴嶺八幡宮の兼務社である。御朱印の有無は不明。
『新編相模国風土記稿』に「神明宮」と記載され、それによれば、平安時代、陸奥守源八幡太郎義家の創立だという。
江戸時代になり、元和7年(1621年)、社殿が再建され、慶安2年(1649年)には3代将軍徳川家光より社領6石の御朱印が下賜された。
江戸時代中期の宝永2年(1705年)、社殿が再建され、元和のものと含め、棟札が今に伝わる。往時の別当は満蔵寺だった。
明治になり、明治4年(1871年)、旧別当の満蔵寺が廃寺となり、明治17年(1884年)9月、社殿が再建された。
社壇奥には、間口4尺8寸、奥行4尺の神殿が安置された。御祭神は大日孁貴命(天照大神の別称)。
明治43年(1910年)、一村一社制度の施行に伴い、上赤羽根・中赤羽根の諸社が下赤赤羽根の当社に合祀された。
合祀神として、八雲神社の素戔嗚命(素盞嗚命)、天満宮の菅原道真公、荒魂神社の福都日神を祀る。
福都日神は福津日神とも表記され、『古事記』の禍津日神と同義ともされる。『古事記』の禍津日神には、八十禍津日神・大禍津日神の2柱が登場する。
昭和57年(1982年)、新湘南道路計画にあたり、新しく移築された敷地1300坪あまりが全て社領で、平坦な境内には樹齢数百年の樹木が並ぶ。
例祭は9月第3日曜日。当社は毎年7月の海の日に神奈川県茅ヶ崎市西浜海岸で行なわれる浜降祭に参加する一社である。いずれも当日は神輿渡御で賑わう。
境内には昭和10年(1935年)建立で二の鳥居傍と、昭和58年(1983年)建立で社殿の前に、それぞれ一対の狛犬がある。他に、手水舎や神輿殿、鐘楼などがある。
【ご利益】
開運招福、厄災除け、学業・受験合格、地域安全
【関連記事】
・浜降祭とは? - 7月海の日、神奈川県茅ヶ崎市西浜海岸で行われる神輿一斉渡御
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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神明大神(しんめいおおかみ)は、神奈川県茅ヶ崎市赤羽根にある神社。赤羽根神明大神社とも。現在は鶴嶺八幡宮の兼務社である。御朱印の有無は不明。
『新編相模国風土記稿』に「神明宮」と記載され、それによれば、平安時代、陸奥守源八幡太郎義家の創立だという。
江戸時代になり、元和7年(1621年)、社殿が再建され、慶安2年(1649年)には3代将軍徳川家光より社領6石の御朱印が下賜された。
江戸時代中期の宝永2年(1705年)、社殿が再建され、元和のものと含め、棟札が今に伝わる。往時の別当は満蔵寺だった。
明治になり、明治4年(1871年)、旧別当の満蔵寺が廃寺となり、明治17年(1884年)9月、社殿が再建された。
社壇奥には、間口4尺8寸、奥行4尺の神殿が安置された。御祭神は大日孁貴命(天照大神の別称)。
明治43年(1910年)、一村一社制度の施行に伴い、上赤羽根・中赤羽根の諸社が下赤赤羽根の当社に合祀された。
合祀神として、八雲神社の素戔嗚命(素盞嗚命)、天満宮の菅原道真公、荒魂神社の福都日神を祀る。
福都日神は福津日神とも表記され、『古事記』の禍津日神と同義ともされる。『古事記』の禍津日神には、八十禍津日神・大禍津日神の2柱が登場する。
昭和57年(1982年)、新湘南道路計画にあたり、新しく移築された敷地1300坪あまりが全て社領で、平坦な境内には樹齢数百年の樹木が並ぶ。
例祭は9月第3日曜日。当社は毎年7月の海の日に神奈川県茅ヶ崎市西浜海岸で行なわれる浜降祭に参加する一社である。いずれも当日は神輿渡御で賑わう。
境内には昭和10年(1935年)建立で二の鳥居傍と、昭和58年(1983年)建立で社殿の前に、それぞれ一対の狛犬がある。他に、手水舎や神輿殿、鐘楼などがある。
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