もとは菊川の堤の土手稲荷、東京大空襲の犠牲者を供養する地蔵尊
[住所]東京都墨田区立川4-12-24
[電話]03-3681-0010 - 亀戸天神社

榎稲荷神社(えのきいなりじんじゃ)は、東京都墨田区立川にある神社。現在は亀戸天神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

江戸時代前期の天和3年(1682年)、菊川の堤に社殿が建立され、土手稲荷と呼ばれたという。

江戸時代中期の宝暦年間(1751年-1764年)、中風が流行し、当社に平癒を祈願して境内にあった榎の皮を持ち帰ったところ、その効力が著しかったという。

祈願を遂げた人々は講中を作り、社殿が造営された。その頃から、現社号を称するようになった。

その後、大久保紀伊守の邸内社となり、町内一同により石鳥居、漱水盤が奉納された。

ちなみに、大久保紀伊守の邸内の向かいには請西藩江戸下屋敷があり、その西隣には長谷川平蔵宣以の住居や、遠山左衛門尉影元の下屋敷があった。

もちろん、池波正太郎『鬼平犯科帳』の鬼平こと火付盗賊改役と、時代劇『遠山の金さん』の江戸町奉行。それぞれ、明和元年(1764年)からと弘化3年(1846年)から住まいした。

ともかく、当社は万延年間(1860年-1861年)には、隣接の氷川大乗院配下本山修験吉祥院が大切に守護していたと伝わる。

御祭神は、宇賀御魂神。大正12年(1923年)の関東大震災での焼失後、区画整理により現在地に移転、境内には石黒善次が寄贈した地蔵尊が祀られている。

この地蔵尊は、昭和20年(1945年)3月10日未明の東京大空襲で、多くの死者が出て、当地の菊川公園でも埋葬者が4515人に達したと伝わる。

そんな中、終戦前後から、その生存者の間に犠牲者の冥福と恒久平和を念じて、地蔵尊建立の運動が起きた。

当時この町の住民で、菊川小学校で奇跡的に難を免れ、船橋市に疎開中の石黒に話が伝わり、石黒の浄財により、昭和21年(1946年)5月、建立された。

もとは菊川公園に祀られたが、昭和40年(1965年)、菊川公園改修のため現在地に移転、現在も毎年3月10日には盛大に犠牲者の霊を弔う祭典が行われている。

なお、板橋区本町に当社号とよく似た榎木稲荷神社があるが、別の神社である。また、渋谷区千駄ヶ谷にはお万榎稲荷神社がある。

【ご利益】
病気平癒、平穏安寧
榎稲荷神社 東京都墨田区立川
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