三十郎稲荷とも、御神体にまつわる戦後の逸話、猫の守護神
[住所]東京都中央区日本橋堀留町2-1-13
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三光稲荷神社(さんこういなりじんじゃ)は、東京都中央区日本橋堀留町にある神社。近代社格では無格社。

江戸時代初期の慶長8年(1603年)、当時の長谷川町、現在の堀留2丁目に絹布問屋田原屋村越庄左衛門、木綿問屋建石三蔵の両家が住んでいた。

この両家が、海岸を埋立てて貸家を建て、大地主となった。その土地の鎮守として祀ったのが当社の創建とされる。

江戸時代前期の元禄2年(1687年)刊の地誌『ゑ入江戸惣鹿子』に「はせ川町、三十郎稲荷」とあるのが当社だとされる。

京都伏見稲荷を勧請し、歌舞伎役者である2代目關三十郎(1786年-1839年)の邸内に祀られていたため、三十郎稲荷とも呼ばれたという。

近隣には吉原や歌舞伎小屋の中村座、市村座、さらには操り人形や人形浄瑠璃の小屋などがあり、江戸落語にも当社はたびたび登場するようになった。

大正12年(1923年)の関東大震災により社殿が焼失、当時の神主は御神体を奉安し、逃げ延びたが、その後御神体は所在不明になった。

その後、福島県郡山市の農家である池田氏が市で「長谷川町守護神」という小詞を買い、自宅に奉斎したところ、池田家は繁栄した、と伝わる。

ともかく、当社は大正13年(1924年)に再建された。同年区画整理により、長谷川町と田所町が合併して堀留町2丁目となり、その際田所稲荷が当社に合祀された。

御祭神は、三光稲荷大神・田所稲荷大明神。昭和8年(1933年)の区画整理時に現在地へ遷座、その通りを三光新道と称するようになった。

戦後の昭和26年(1951年)、先の池田氏から長谷川町役場宛に手紙が届いた。それによると、池田家では夜な夜な家鳴りがして、長谷川町に帰りたいというお告げがあったという。

そこで、当社の御神体が返還され、鎮座したという。拝殿右上の額「日本橋区長谷川町守護神三光稲荷神社」は神田神社宮司平田盛胤氏の揮毫である。

古くから娘、子供、芸妓の参詣が多かったとされ、特に猫族守護神として、飼い猫が行方不明になった時に祈願すれば霊験があるとされている。

そのため、当社地は狭いが、その中に招き猫の並ぶ棚がある。また、境内の招き猫は、猫が帰ってきた飼い主達によって奉納されたものである。

南西120メートルほどの所に、富沢稲荷神社がある。当社は基本的に無人であるが、書置きの御朱印を人形通り沿いにある化粧品店「オキナ」で頂ける。

場所については詳しい案内が境内に掲示されているが、日曜日・祝日、第1・第3土曜日は休業日であり、授与されない。

なお、愛知県犬山市犬山北古券に当社と同名の神社があるが、おそらくは無関係。

【ご利益】
スポーツ・技芸上達、女子・子供・猫の守護神
三光稲荷神社 東京都中央区日本橋堀留町
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三光稲荷神社 東京都中央区日本橋堀留町の御朱印