江戸初期に当地浪人の屋敷に勧請、初代市川団十郎
[住所]東京都中央区日本橋堀留町1-6-11
[電話]-
出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、東京都中央区日本橋堀留町にある神社。最寄駅は日比谷線と浅草線の人形町駅。御朱印の有無は不明だが、社務所もなく、授与されないようだ。
江戸時代、当稲荷敷地は新材木町16・17・18番地だった。徳川家康が入城した安土桃山時代の天正8年(1590年)頃、この附近は芝原宿という村落だった。
杉の森林の多い所で、江戸城拡張以来、江戸町割当地だった。江戸時代初期の慶長9年(1604年)頃、材木置場が多い所から新材木町という町名ができた。
元和3年(1617年)、親爺と呼ばれた北条家浪人庄司甚右衛など他数名の仮屋敷内に、京都伏見稲荷より御祭神を分祀、当社は創建された。以来、当地世話人一同が奉仕したという。
江戸時代、初代市川団十郎(1660年-1704年)が当社に日参し、名を上げたために、当地より出世したとして現社号が定着、現在に至るまで、芸能関係による参拝があるという。
江戸時代前期の明暦3年(1657年)、江戸大火、いわゆる振袖火事や、幕末の安政元年(1854年)の大地震、明治6年(1873年)の大火、大正12年(1923年)の関東大震災、昭和の太平洋戦争まで、本尊は災禍を免れてきたという。
関東大震災の時、社殿が焼失し、現在の堀留町1丁目10番地の椙森神社の旧拝殿を授かり、昭和6年(1931年)に落成し、現在に至る。
御祭神は宇迦之御魂神(倉稲魂命)。現在は「パレドール日本橋」というマンションの敷地内に鎮座する。唯一の参道はこのマンションの自転車置き場になっている。
毎年3月初午には、当社が合祀した岩代稲荷と合同で堀留町1丁目町会の応援により、初午祭が斎行される。
【ご利益】
商売繁盛、家内安全、火防

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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江戸時代、当稲荷敷地は新材木町16・17・18番地だった。徳川家康が入城した安土桃山時代の天正8年(1590年)頃、この附近は芝原宿という村落だった。
杉の森林の多い所で、江戸城拡張以来、江戸町割当地だった。江戸時代初期の慶長9年(1604年)頃、材木置場が多い所から新材木町という町名ができた。
元和3年(1617年)、親爺と呼ばれた北条家浪人庄司甚右衛など他数名の仮屋敷内に、京都伏見稲荷より御祭神を分祀、当社は創建された。以来、当地世話人一同が奉仕したという。
江戸時代、初代市川団十郎(1660年-1704年)が当社に日参し、名を上げたために、当地より出世したとして現社号が定着、現在に至るまで、芸能関係による参拝があるという。
江戸時代前期の明暦3年(1657年)、江戸大火、いわゆる振袖火事や、幕末の安政元年(1854年)の大地震、明治6年(1873年)の大火、大正12年(1923年)の関東大震災、昭和の太平洋戦争まで、本尊は災禍を免れてきたという。
関東大震災の時、社殿が焼失し、現在の堀留町1丁目10番地の椙森神社の旧拝殿を授かり、昭和6年(1931年)に落成し、現在に至る。
御祭神は宇迦之御魂神(倉稲魂命)。現在は「パレドール日本橋」というマンションの敷地内に鎮座する。唯一の参道はこのマンションの自転車置き場になっている。
毎年3月初午には、当社が合祀した岩代稲荷と合同で堀留町1丁目町会の応援により、初午祭が斎行される。
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