豊前小倉藩小笠原家の邸内社「鬼門除け稲荷」、社名は旧町名由来
[住所]東京都千代田区外神田5-4-7
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亀住稲荷神社(かめずみいなりじんじゃ)は、東京都千代田区外神田にある神社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳だが、江戸時代、当地は豊前小倉藩小笠原家の中屋敷があり、幕末の嘉永4年(1851年)の『江戸切絵図』には小笠原左京太夫と載っている。

当社はその邸内で祀られた稲荷社だった。その頃は「鬼門除け稲荷」と称されていたという。

小倉藩小笠原家といえば、新宿区河田町のレストラン「小笠原伯爵邸」ももとは小倉藩邸で、伯爵邸の西隣には出世稲荷神社が祀られている。

明治になり、小笠原家が当地から立ち退くと、明治8年(1875年)5月には町内共有神社の許可を受け、当地の住人が町内の守護神として当社を祀ることになった。

明治31年(1898年)1月3日、火災にかかり再建された。『東京名所図会』にも「亀住稲荷社」として記載されている。

それによれば、「従三位子爵加藤泰秋謹書と署名せし扁額を掲く社前東の方に老槐禿木の神樹あり。祭儀は下谷神社にて之を兼掌すといへり」とある。

御祭神は、大年神宇迦御魂命。例祭は現在も下谷神社の現在も下谷神社の祭礼日である5月11日に近い土・日曜日に行われている。

境内に安置されている手水鉢には大正14年(1925年)3月の銘がある。

当社の社名は旧町名にちなむもの。明治2年(1869年)の近隣火災で類焼したため、亀のように永く住めることを願って神田亀住町と付けられた。

明治44年(1911年)の町名変更で、町名はいったん亀住町となり、昭和22年(1947年)に再び神田亀住町に戻された。

しかし、昭和39年(1964年)の住居表示の実施で、現在の外神田となり、亀住町という町名はなくなった。ただし、現在も当社殿には亀住町会と書かれた木札が掛けられている。

当社は、千代田区最北端の際の際に鎮座し、その境内は文京区湯島・台東区上野・千代田区外神田と三つの区境の鼻先にある様な立地。

【ご利益】
商売繁盛、方除け、諸願成就
亀住稲荷神社 東京都千代田区外神田
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