講武所の付属地、花街の払い下げを受けて大貫伝兵衛が勧請・創建
[住所]東京都千代田区外神田1-9-2
[電話]-

講武稲荷神社(こうぶいなりじんじゃ)は、東京都千代田区外神田にある神社。御朱印の有無は不明。

秋葉原電気街のビル群の中、石丸電気本店の裏角にひっそりと鎮座する。外神田旅籠町会が管理を行っている。

もともとは日光御成街道へ繋がる街道筋である当地に、多くの旅籠が建ち並んだことから、旅籠町と称されるようになった。

江戸時代前期の天和2年(1682年)、大火をきっかけとして召し上げられ、しばらく火除け地となっていたが、その火除け地が幕末になって講武所の付属地となった。

講武所は老中阿部正弘が対外危機に備えて旗本・御家人、その子弟を対象に設置した武術の講習所である。

嘉永7年/安政元年(1854年)、はじめ講武場として設置され、安政3年(1856年)4月、築地鉄砲洲に正式に開設された。

その講武所の旅籠町3丁目の附属地を、大貫伝兵衛が浅草・橋場の長昌寺の稲荷神社に詣でてから幕府に願い出て、安政3年5月22日、払い下げを受けた。

そこで翌安政4年(1857年)、その屋敷内の一角に稲荷神社を建て、橋場から本体を迎えたのが当社の始まり。なお、長昌寺は現在、台東区今戸2丁目にある。

ちなみに、『御府内寺社備考』によれば、長昌寺には当社の前身である稲荷の他、蔵王権現・鬼子母神・七面大明神社・三十番神があったという。

講武所附町屋敷は運営財源を得る花街であって、その守護神としても崇敬された。花街が繁盛したことから、近隣はもちろん、遠く向島あたりからも参詣があったという。

火伏せの神としても崇敬され、運慶作と伝えられる宇之御魂命(宇迦之御魂命)の御神体を祀っているという。明治15年(1882年)から、当社は町内で祀られるようになった。

大正12年(1923年)の関東大震災で被災し、その区画整理で現在地に遷座、さらに戦災を受け、昭和55年(1980年)になり改装された。

現在も例祭は、伝兵衛が払い下げを受けた5月22日で、大祭。2月初午にも祭典が行われる。

【ご利益】
商売繁盛、火防
講武稲荷神社 東京都千代田区外神田
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