神田お玉が池に奉斎された稲荷、池の霊が祟りをなす化物・妖怪屋敷
[住所]東京都千代田区岩本町2-5-13
[電話]-

繁栄お玉稲荷大明神(はんえいおたまいなりだいみょうじん)は、東京都千代田区岩本町にある神社。お玉稲荷・於玉稲荷・阿玉稲荷神社とも。御朱印の有無は不明。

当社の創建年代は不詳。近隣にあったお玉が池のほとりに勧請された。室町時代は太田道灌が崇敬したと伝わるので、それ以前に創建されていたことになる。

寛正元年(1461年)、足利義政が祈願したと伝わる。安土桃山時代の文禄4年(1596年)には伊達政宗が参詣した。

ただし、創建については、それよりも後、江戸時代初期の慶長9年(1604年)との説もある。その当時、お玉が池は不忍池よりも大きかったという。

お玉が池は最初、桜が池と呼ばれたが、ほとりにあった茶店のお玉という女性が池に身を投げたことから、お玉が池と呼ばれるようになった。いわゆる「神田お玉が池」である。

そのため、当社もお玉の霊を祀る社として、『江戸砂子』『江戸惣鹿子名所大全』『江戸名所図会』などに取り上げられた。

享保年間(1716年-1736年)、妖怪が棲むと噂が立ち、享保14年(1729年)、付近に屋敷を拝領した御大工棟梁桑原孫兵衛の下女が水を汲みに来ると怪異があり、気絶。

これを聞いた孫兵衛は、池を埋めてしまう。するとその年のうちに男子が早世し、翌年の正月には孫兵衛が頓死してしまった。

以来、池の霊が祟りをなす「化物屋敷」「妖怪屋敷」として知れ渡ったと伝わる。

隣接する小祠は弁天財を祀っている。『新撰東京名所図会』には、古くから当社に龍神社と市杵島比売之命が合殿されていると記し、龍神の伝承も記されている。

お玉が池はその後、徐々に埋め立てられ、姿を消した。幕末の安政2年(1856年)、地震による火災で焼失、分社だった葛飾区新小岩於玉稲荷神社へ本社を遷座した。

お玉については、古くから「於玉」「阿玉」とも表記された。安政5年(1859年)の地図には「玉池イナリ」と表記されている。

本殿には、於玉稲成大神と宇迦乃美多麻之命(倉稲魂命)が祀られている。相殿として、龍神・市杵島姫比売が祀られている。社殿内に「正一位稲荷大明神」という御札がある。

本殿右脇にある木製の小祠は弁財天社で、昭和40年代(1965年-1974年)に元岩井町の個人邸内に祀られていたものを移転したもの。

例祭は2月初午。土・日曜日のいずれかに当たる場合は二の午となる。かつて当社は、柳森神社の兼務社だったという。

【ご利益】
商売繁盛、諸願成就
繁栄お玉稲荷大明神 東京都千代田区岩本町
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