日露戦争(1904年-1905年)の戦勝記念、全国に五社のみ?
砲弾狛犬とは、通常の狛犬の付属物が、玉乗り・玉抑え・玉くわえ・子持ちなどに分類されるのに対して、砲弾を象ったものに乗ったり、抑えたり、抱えたりしている狛犬のことである。
現在、この砲弾狛犬が確認されているのは下記の五社のみ。神奈川県が四社、そのうち横浜市が二社、川崎市が二社で、残り一社が千葉県館山市。
いずれも、明治34年(1904年)から明治35年(1905年)にかけて行われた日露戦争の戦勝記念に建立・奉納されたもの。
日露戦争による戦勝が、当時の日本中を熱狂させたのは歴史的事実のため、こうしたものが残っているのは全く珍しくないが、五社のみ、それも地域も比較的集中している理由は不明。
以前はもっと多くが建立・奉納されたのか、それが何らかの理由で現存していないのか、あるいはもともとこの五社のみの特殊な事情だったのか。
他の神社にも安置されている、などの情報をお持ちの方、本ページ下部のコメント欄か、こちらのメッセージ欄から情報を頂ければ、追記していきます。

[住所]神奈川県横浜市南区山王町5-32
[電話]045-261-6902
[建立]明治40年(1907年)10月
[特徴]阿吽が違う種類の砲弾踏む
[写真]お三の宮日枝神社の砲弾狛犬

[住所]横浜市中区本牧原29-18
[電話]045-261-6902 - 日枝神社
[建立]明治39年(1906年)5月
[特徴]阿吽が違う種類の砲弾踏む
[写真]吾妻神社の砲弾狛犬

[住所]川崎市中原区下小田中1-2-8
[電話]044-422-3271 - 日枝神社
[建立]明治40年(1907年)10月
[特徴]砲弾をしっかり抱える
[写真]大戸神社の砲弾狛犬

[住所]川崎市川崎区大島3ー4ー8
[電話]044-222-4827
[建立]明治39年(1906年)10月
[特徴]11代目飯島吉六、吽像だけが砲弾を踏む
[写真]大島八幡神社の砲弾狛犬

[住所]千葉県館山市長須賀406
[電話]0470-22-1258
[建立]大正8年(1919年)
[特徴]両足で砲弾を踏む
[写真]長須賀熊野神社の砲弾狛犬
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社のまとめ・時事その他編
現在、この砲弾狛犬が確認されているのは下記の五社のみ。神奈川県が四社、そのうち横浜市が二社、川崎市が二社で、残り一社が千葉県館山市。
いずれも、明治34年(1904年)から明治35年(1905年)にかけて行われた日露戦争の戦勝記念に建立・奉納されたもの。
日露戦争による戦勝が、当時の日本中を熱狂させたのは歴史的事実のため、こうしたものが残っているのは全く珍しくないが、五社のみ、それも地域も比較的集中している理由は不明。
以前はもっと多くが建立・奉納されたのか、それが何らかの理由で現存していないのか、あるいはもともとこの五社のみの特殊な事情だったのか。
他の神社にも安置されている、などの情報をお持ちの方、本ページ下部のコメント欄か、こちらのメッセージ欄から情報を頂ければ、追記していきます。
日枝神社

[住所]神奈川県横浜市南区山王町5-32
[電話]045-261-6902
[建立]明治40年(1907年)10月
[特徴]阿吽が違う種類の砲弾踏む
[写真]お三の宮日枝神社の砲弾狛犬
吾妻神社

[住所]横浜市中区本牧原29-18
[電話]045-261-6902 - 日枝神社
[建立]明治39年(1906年)5月
[特徴]阿吽が違う種類の砲弾踏む
[写真]吾妻神社の砲弾狛犬
大戸神社

[住所]川崎市中原区下小田中1-2-8
[電話]044-422-3271 - 日枝神社
[建立]明治40年(1907年)10月
[特徴]砲弾をしっかり抱える
[写真]大戸神社の砲弾狛犬
八幡神社

[住所]川崎市川崎区大島3ー4ー8
[電話]044-222-4827
[建立]明治39年(1906年)10月
[特徴]11代目飯島吉六、吽像だけが砲弾を踏む
[写真]大島八幡神社の砲弾狛犬
熊野神社(長須賀)

[住所]千葉県館山市長須賀406
[電話]0470-22-1258
[建立]大正8年(1919年)
[特徴]両足で砲弾を踏む
[写真]長須賀熊野神社の砲弾狛犬
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