もとは韋駄天社、明治期に村内各社を合祀、主神は韋駄天神
[住所]神奈川県川崎市宮前区野川463
[電話]044-777-0288
神明社(しんめいしゃ)は、神奈川県川崎市宮前区野川にある神社。近代社格では村社。野川神明社とも。参拝すれば、「韋駄天」とある御朱印を頂ける。
創建年代は不詳。多摩川の西岸に位する当地・野川は、縄文・弥生文化の遺跡も極めて多く、古くより人が居住しており、相当古い時期の勧請と思われる。
境内は、「野川神明社境内遺跡」として、市の文化財に指定されている。約6500年前の縄文時代前期の家の跡が発見されている。
また、弥生時代後期の、溝の一辺が推定17メートル、溝の幅2メートル、溝の深さ80センチ前後の方形周溝墓と、壺棺が発掘されている。
平安時代創建という古刹影向寺とともに、各集落氏神として韋駄天社・八坂神社・子神社の三社が崇敬されていたという。
『新編武蔵風土記稿』上野川村の条にも「韋駄天社」「子の神社」とある。八坂神社については不詳。同書にはさらに、「神明宮」「第六天社」の記載がある。
これら、『新編武蔵風土記稿』上野川村の条に記載された各社は、小祠だった「第六天社」以外、いずれも別当は西蔵寺だった。韋駄天社については、下記のように記されている。
この韋駄天社が明治3年(1870年)5月、村社より雑社となり、同年改めて村社に列し、神明社となった。
明治41年(1908年)10月、無格社八坂神社と子神社を合併し、野川の総鎮守となった。この際、『新編武蔵風土記稿』記載の「神明宮」「第六天社」も合併した、とも。
あるいは、明治3年の村社列格と現社号への改称の際に「神明宮」を合祀したのかもしれない。この神明宮について、『新編武蔵風土記稿』には以下の記載がある。
ともかく、昭和15年(1940年)、弊帛料供進神社に指定され、昭和25年(1950年)には国より境内地の譲与を受け、昭和28年(1953年)に現社号の宗教法人となった。
御祭神は、天照皇大神(神明宮)、伊邪那岐命・伊邪那美命(第六天社?)、須佐之男命(八坂神社)・大巳貴命(子神社)・韋駄天神(韋駄天社)。
このうち、天照皇大神と韋駄天神が主祭神格とされ、韋駄天神を主祭神格として祀る神社は珍しい。境内には、高さ3.5メートル、御影石製の韋駄天神像がある。
どちらにしろ俊足の神であり、現在では陸上選手や自転車競技者などアスリートから特に崇敬されているという。
例祭は10月体育の日前の日曜日で、例大祭。前日が宵宮祭。当日は、大人・子供の宮出し、渡御、宮入りがあり、奉納演芸がある。両日朝から20店舗ほどの露天が並ぶ。
7月12日には八坂祭が行われる。天王祭とも呼ばれる夏の祭典で、悪疫を払う儀式が行われる。
なお、問合せ先が師岡熊野神社になっている場合があり、師岡熊野神社の兼務社とも考えられるが、神職は常駐しているようだ。
【ご利益】
スポーツ・技芸上達、武運長久・勝運、厄災除け、無病息災

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神明社(しんめいしゃ)は、神奈川県川崎市宮前区野川にある神社。近代社格では村社。野川神明社とも。参拝すれば、「韋駄天」とある御朱印を頂ける。
創建年代は不詳。多摩川の西岸に位する当地・野川は、縄文・弥生文化の遺跡も極めて多く、古くより人が居住しており、相当古い時期の勧請と思われる。
境内は、「野川神明社境内遺跡」として、市の文化財に指定されている。約6500年前の縄文時代前期の家の跡が発見されている。
また、弥生時代後期の、溝の一辺が推定17メートル、溝の幅2メートル、溝の深さ80センチ前後の方形周溝墓と、壺棺が発掘されている。
平安時代創建という古刹影向寺とともに、各集落氏神として韋駄天社・八坂神社・子神社の三社が崇敬されていたという。
『新編武蔵風土記稿』上野川村の条にも「韋駄天社」「子の神社」とある。八坂神社については不詳。同書にはさらに、「神明宮」「第六天社」の記載がある。
これら、『新編武蔵風土記稿』上野川村の条に記載された各社は、小祠だった「第六天社」以外、いずれも別当は西蔵寺だった。韋駄天社については、下記のように記されている。
村の艮の方にあり、上野川の内なり、内陣二間半四方拝殿四間に三間南向なり、前に木の鳥居を建總村の鎮守にて、例祭は年々九月二十三日、神供免畑一町餘、見捨地あり鎮座の年代を傳へず韋駄天社は、神々の御恵を光の速さで逸早く走く届け、足腰の病を癒し、子供の病魔を除く神として崇敬されたという。
この韋駄天社が明治3年(1870年)5月、村社より雑社となり、同年改めて村社に列し、神明社となった。
明治41年(1908年)10月、無格社八坂神社と子神社を合併し、野川の総鎮守となった。この際、『新編武蔵風土記稿』記載の「神明宮」「第六天社」も合併した、とも。
あるいは、明治3年の村社列格と現社号への改称の際に「神明宮」を合祀したのかもしれない。この神明宮について、『新編武蔵風土記稿』には以下の記載がある。
村の東の方字領家谷にあり、又此地を一に影向寺台とも呼べり、前に木の鳥居を建つただ、そうであれば、もともとは神明宮、それが韋駄天社を合祀した、という流れの方が現社号につながりやすいが、いずれの資料も、当社の主体は韋駄天社としている。
ともかく、昭和15年(1940年)、弊帛料供進神社に指定され、昭和25年(1950年)には国より境内地の譲与を受け、昭和28年(1953年)に現社号の宗教法人となった。
御祭神は、天照皇大神(神明宮)、伊邪那岐命・伊邪那美命(第六天社?)、須佐之男命(八坂神社)・大巳貴命(子神社)・韋駄天神(韋駄天社)。
このうち、天照皇大神と韋駄天神が主祭神格とされ、韋駄天神を主祭神格として祀る神社は珍しい。境内には、高さ3.5メートル、御影石製の韋駄天神像がある。
どちらにしろ俊足の神であり、現在では陸上選手や自転車競技者などアスリートから特に崇敬されているという。
例祭は10月体育の日前の日曜日で、例大祭。前日が宵宮祭。当日は、大人・子供の宮出し、渡御、宮入りがあり、奉納演芸がある。両日朝から20店舗ほどの露天が並ぶ。
7月12日には八坂祭が行われる。天王祭とも呼ばれる夏の祭典で、悪疫を払う儀式が行われる。
なお、問合せ先が師岡熊野神社になっている場合があり、師岡熊野神社の兼務社とも考えられるが、神職は常駐しているようだ。
【ご利益】
スポーツ・技芸上達、武運長久・勝運、厄災除け、無病息災

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