平安期勧請、5月例大祭は恵みの雨、サンリオキャラ御守の発祥
[住所]神奈川県川崎市川崎区小田2ー14ー7
[電話]044-333-1046

日枝大神社(ひえいだいじんじゃ)は、神奈川県川崎市川崎区小田にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

平安時代の天暦2年(948年)3月中日、比叡山坂本山王権現である日吉大社の御分霊を勧請したもので、山王権現と号し、比叡宮と称した。

当初、小田村の西隅に社殿があったが、いつしか村の中央にあたる現在地に遷座した。旧跡地には、有名な銀杏の御神木があり、大正時代(1912年-1926年)までは残っていたが、今はない。

江戸時代には、御朱印地10石があり、隣村の下新田村(現 浅田町)、菅沢村(現 鶴見区菅沢町)などの総鎮守だった。

『新編武蔵風土記稿』小田村の条にも「山王社」とあり、「土人云古の神體は黄金をもて作れる扇子の開きたるに日月星辰を鋳たるものなり」などとある。

明治維新まで、向かいの真言宗円能院が別当職として奉仕していたが、明治6年(1873年)12月、村社に列し、現社号に改称した。

明治42年(1909年)3月14日、浅間神社・杉山神社・神明社・下新田稲荷神社などを合祀した。この杉山神社は、杉山神社72社の一つ。

主祭神は大山咋命。相殿に、天照皇大神大山津見命木花開耶姫命大国主之命豊受姫命を祀る。

大正10年(1921年)4月4日、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和20年(1945年)4月15日夜半、太平洋戦争の大空襲により、氏子の9割とともに一夜にして焼失した。

戦後になり、昭和24年(1949年)5月14日、本殿を再建、翌昭和25年(1950年)5月には仮の拝殿と仮の社務所を建てた。

昭和27年(1952年)5月14日、神楽殿を再建、昭和31年(1956年)4月15日には社殿が完成し、5月18日・19日に奉祝祭を行った。

昭和37年(1962年)4月15日には社務所が完成したが、昭和45年(1970年)2月7日夜半、いたずらにより神楽殿が全焼、同年5月15日に再建した。

昭和57年(1982年)4月15日 氏子中の奉賛により、宮神輿と神輿庫が再建された。同年5月大祭では、宮御輿が全氏子地域を巡幸、40年振りの祭事とあって盛況だったという。

例祭は、もとは4月申の日。神輿渡御の際は村内旧家12人がいずれも馬に乗り、警個供奉をして3ヶ村を巡幸したと伝わる。

また、農作物が成長する5月の雨は百姓にとって重要な恵みの雨であり、他の地方では日照りが続くと雨乞祭をするところも見られた。

しかし小田村では昔から5月の当社例大祭が行われる頃に雨が多かったと記録され、例大祭2日間のうち1日はたとえわずかでも雨が降ることが多かった。

さらに、両日天気に恵まれた時でも、その前後の日は大雨となることが多かったという。そのため、小田村では雨乞祭りの必要がなかった。

往時は、これも「山王さんのお陰」と喜ばれたとされる。なお、当社例大祭は今でも、雨天になる確率が高い祭りとして知られている。

明治以降、例大祭は5月15日に改められ、現在は毎年5月第3土・日曜日。市内で最初に行われる夏祭りで、200店舗近い出店が並び、境内や付近の道路は終日賑わう。

境内末社として、八王子社、稲荷神社、浅間神社、神明社、大鷲神社が合祀されている。江戸時代中期の享保19年(1734年)に氏子により奉納された手水屋の水石がある。

サンリオキャラクターを使用した御守の発祥の神社であり、サンリオキャラの頒布品が多いのが特徴である。これら御守は通信授与も行われている。

【ご利益】
家内安全、地域安全、厄災除け、開運招福(公式HP
日枝大神社 神奈川県川崎市川崎区小田
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