榛谷御厨八郷の総鎮守、天照太神宮と豊受大神宮
[住所]神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町107
[電話]045-341-6365
神明社(しんめいしゃ)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
弘治元年(1555年)『神明社由来書』によれば、平安時代の天禄元年(970年)、天照大御神が榛谷の峰に来臨し、その後、川井、二俣川、北保土ヶ谷宮林へ移転した。
鎌倉時代の嘉禄元年(1225年)、神戸に外宮を造営し、榛谷氏所領の榛谷御厨八郷の総鎮守となった。
榛谷重朝が支配していた当地一帯を伊勢の神宮(伊勢神宮)へ寄進した。もともとは産土神で、伊勢神宮領になってから天照大御神を勧請したとも。
北保土ヶ谷宮林とは、現在の霞台という説がある。なお、この書に登場する「北保土ヶ谷」は、保土ケ谷の地名の最も古い記録である。
横浜市内のうち、旧武蔵国橘樹郡と相模国鎌倉郡には神明社が多くある。一帯を支配していた榛谷重朝をはじめとする畠山一族が所領安堵のため、積極的に伊勢神宮へ所領を寄進して勧請したため、とも考えられている。
ともかく、往時の当社は、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み、隆盛を極めたという。
安土桃山時代の天正18年(1590年)、徳川家康により、社殿の造営が行われ、朱印地が与えられた。
江戸時代初期の元和5年(1619年)、本社を当地へ移転、社殿の造営や境内の整備が行われた。慶安元年(1648年)には社領4石1斗の御朱印状を拝領した。
『新編武蔵風土記稿』下岩間町の条にも「神明社」とあり、非常に詳細に由緒や境内設備を説明している。
明治2年(1869年)の修営には、明治天皇が東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てた鳳輦安置所の御用材が下賜された。
明治6年(1873年)、村社に列し、後に神饌幣帛料供進神社に指定された。
平成10年(1998年)、平成の大造営が行われ、移転以来の境内社殿12棟が一新され、平成12年(2000年)には神奈川県神社庁の献幣使参向神社に指定された。
御祭神は、本社である天照太神宮(てんしょうだいじんぐう)が天照大御神、摂社である豊受大神宮(とようけだいじんぐう)が豊受大御神。
例祭は8月27日。前日の26日が宵宮で、江戸囃子や里神楽がある。当日は、御輿宮出しがあり、夕刻からは奉納演芸大会が行われる。
社宝として、元禄3年(1690年)奉納の大太鼓や、拝殿正面に掲げられている元禄17年(1704年)奉納の扁額がある。
境内社に、月読社、風宮、切部之王子社、日之王子社、鹿島社、雷神社、白鳥社・火産社、山神社・山王社、厳島社・見目社、天満宮、稲荷社、水神社。
境外の所管社に江戸時代末期に外川仙人大権現として創建された外川神社(主祭神:日本武尊、配祭神:月夜見命・大山祇命・稲倉魂神)が、区内瀬戸ヶ谷町196番地に鎮座する。
【ご利益】
開運招福、商売繁盛、事業成功、家内安全(公式HP)

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神明社(しんめいしゃ)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区神戸町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
弘治元年(1555年)『神明社由来書』によれば、平安時代の天禄元年(970年)、天照大御神が榛谷の峰に来臨し、その後、川井、二俣川、北保土ヶ谷宮林へ移転した。
鎌倉時代の嘉禄元年(1225年)、神戸に外宮を造営し、榛谷氏所領の榛谷御厨八郷の総鎮守となった。
榛谷重朝が支配していた当地一帯を伊勢の神宮(伊勢神宮)へ寄進した。もともとは産土神で、伊勢神宮領になってから天照大御神を勧請したとも。
北保土ヶ谷宮林とは、現在の霞台という説がある。なお、この書に登場する「北保土ヶ谷」は、保土ケ谷の地名の最も古い記録である。
横浜市内のうち、旧武蔵国橘樹郡と相模国鎌倉郡には神明社が多くある。一帯を支配していた榛谷重朝をはじめとする畠山一族が所領安堵のため、積極的に伊勢神宮へ所領を寄進して勧請したため、とも考えられている。
ともかく、往時の当社は、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み、隆盛を極めたという。
安土桃山時代の天正18年(1590年)、徳川家康により、社殿の造営が行われ、朱印地が与えられた。
江戸時代初期の元和5年(1619年)、本社を当地へ移転、社殿の造営や境内の整備が行われた。慶安元年(1648年)には社領4石1斗の御朱印状を拝領した。
『新編武蔵風土記稿』下岩間町の条にも「神明社」とあり、非常に詳細に由緒や境内設備を説明している。
明治2年(1869年)の修営には、明治天皇が東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てた鳳輦安置所の御用材が下賜された。
明治6年(1873年)、村社に列し、後に神饌幣帛料供進神社に指定された。
平成10年(1998年)、平成の大造営が行われ、移転以来の境内社殿12棟が一新され、平成12年(2000年)には神奈川県神社庁の献幣使参向神社に指定された。
御祭神は、本社である天照太神宮(てんしょうだいじんぐう)が天照大御神、摂社である豊受大神宮(とようけだいじんぐう)が豊受大御神。
例祭は8月27日。前日の26日が宵宮で、江戸囃子や里神楽がある。当日は、御輿宮出しがあり、夕刻からは奉納演芸大会が行われる。
社宝として、元禄3年(1690年)奉納の大太鼓や、拝殿正面に掲げられている元禄17年(1704年)奉納の扁額がある。
境内社に、月読社、風宮、切部之王子社、日之王子社、鹿島社、雷神社、白鳥社・火産社、山神社・山王社、厳島社・見目社、天満宮、稲荷社、水神社。
境外の所管社に江戸時代末期に外川仙人大権現として創建された外川神社(主祭神:日本武尊、配祭神:月夜見命・大山祇命・稲倉魂神)が、区内瀬戸ヶ谷町196番地に鎮座する。
【ご利益】
開運招福、商売繁盛、事業成功、家内安全(公式HP)

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