頼朝が勧請した横濱辨天、洲干弁天・清水弁天とも
[住所]神奈川県横浜市中区羽衣町2-7-1
[電話]045-261-1894

厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、神奈川県横浜市中区羽衣町にある神社。近代社格では村社。横濱厳島神社、横濱辨天とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は治承年間(1177年-1181年)で、源頼朝が伊豆国土肥、現在の静岡県伊豆市から勧進したと伝えられる。

南北朝時代には第2代鎌倉公方足利氏満(1359年-1398年)が般若心経を奉納、室町時代には太田道灌(1432年-1486年)が社殿を再建した。

元来は洲干島(しゅうかんじま)とも呼ばれる入江の砂州上の寒村であった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称した。横浜村の鎮守。

江戸時代になり、その前期の慶安2年(1649年)には幕府より社領6石1斗の御朱印状を拝領した。

秀閑寺という別当寺があったが廃絶、慶安年間(1648年-1652年)以降は元町1丁目の増徳院が別当になった。

元禄年間(1688年-1704年)、この元町の増徳院境内に仮殿を造営し、上之宮杉山弁天と唱えた。この上之宮杉山弁天が結局、現在の元町厳島神社となる。

往時、平日は御神体を上之宮杉山弁天に奉安して置き、当社には前立の御神体のみを置いて、下之宮清水弁天と呼んだ。

浜辺の松林で覆われた境内は、対岸の神奈川宿台町からの眺望十五景の一つ(「洲干雪」)にも数えられるほどの景勝地だった。

また、境内には瓢箪池があり、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横浜弁天」とも呼ばれた。

『新編武蔵風土記稿』横濱村の条にも「辨天社」とあり、「土人清水辨天と呼ぶ」「村の鎮守なり」などとある。

敷地は南は太田町5丁目、北は南仲通5丁目、東は弁天通5丁目、西は海岸で寄州になっており、1万2千坪という広々とした場所だった。

今の神奈川県立歴史博物館(横浜正金銀行本店跡)のあたりに一の鳥居があった。鳥居は四の鳥居まで存在していたとされる。開港後、門前が弁天通として整備された。

明治2年(1869年)に街区拡張のため、現在地の羽衣町に移転して、現社号に改称した。もとの所在地は、みなとみらい線馬車道駅付近の弁天通6丁目付近だった。

先の元町厳島神社と区別するため、当社は、関内厳島神社と呼ばれることもある。御祭神は、市杵島姫尊多紀理姫尊多岐都姫尊宗像三女神

例祭は8月1日で例大祭。現在は7月末に行われる関内まつりと同時開催され、神輿渡御などがある。また、2月節分には節分祭が行われる。

境内社に、銭洗弁天社・豊受稲荷神社がある。

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厳島神社 神奈川県横浜市中区羽衣町
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