平安期に伏見稲荷を勧請、元寇で時宗が銘刀を奉納、節分追儺式
[住所]神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-9-1
[電話]045-441-0470
笠䅣稲荷神社(かさのぎいなりじんじゃ)は、神奈川県横浜市神奈川区東神奈川にある神社。近代社格では村社。難字のため、笠のぎ稲荷神社とも表記される。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代の天慶年間(938年-947年)、淳和天皇勅願所浦島院勧福寿寺の僧侶が、隣域の稲荷山腹に社殿を建立し、伏見稲荷大社の御分霊を勧請したことが創祀と伝えられる。
以来、同寺の守護神及び附近一帯の産土神として崇敬を集めた。
鎌倉時代の文永11年(1274年)、元寇の折りには、鎌倉幕府の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願した。
戦国時代に兵火に罹災してしまったものの、永禄2年(1559年)に再興され、大祭が行われた。
江戸時代前期の元禄2年(1689年)、稲荷山の中腹より山麓に遷座した。
これより、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称されるようになった。
『新編武蔵風土記稿』神奈川町の条にも「笠脱稲荷社」とあり、この説話を紹介しているが、「をぼつかなき説なり」としている。
後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した。
明治2年(1869年)、旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため、現在地に移った。現在も社前を京急本線が通る。
明治17年(1884年)には村社に列し、1921年(大正10年)に神饌幣帛料供進社に指定された。
大正12年(1923年)の関東大震災により社殿が半壊、昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲には、社殿・神宝類のすべてが焼失。
しかし終戦後、いち早く仮社殿が再建された。昭和54年(1979年)には新社殿が完成した。
御祭神は、主神が宇迦之魂命で、相殿に明治天皇・日本武尊を祀る。例祭は8月8日・9日で、現在はその日に近い土・日曜日に行われる。
空襲で神輿が焼失したので、以前は神輿を借りて渡御が行われたが、平成17年(2005年)、氏子の協力で新調された。
老若男女が揃いの法被や股引に身を包み、重さ300キロの神社神輿を「せいやー、せいやー」と威勢よく担いで周辺5町を練り歩く。
文化財として、鎌倉時代末期の板碑が残る。また、2月3日の節分追儺式が市無形民俗文化財に指定されている。
この追儺式では、毎年2月の節分に、年男・稚児・神社役員が氏子町内を練り歩く。鳴り物を鳴らし、和歌を朗読し、除災招福の豆まきを行う。
12月25日頃に餅つきの神事がある。また、当社に土団子を供えれば病が治るとの特殊信仰もある。お礼に粢(ひとぎ)団子を供えるという。
境内社に、古峯神社・祖霊社があり、他に先の板碑や、庚申塔・地神塔・日露戦役記念碑がある。なお、市内保土ケ谷区今井町の子神社などを兼務している。
【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、平穏安寧、旅行・交通安全
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笠䅣稲荷神社(かさのぎいなりじんじゃ)は、神奈川県横浜市神奈川区東神奈川にある神社。近代社格では村社。難字のため、笠のぎ稲荷神社とも表記される。参拝すれば、御朱印を頂ける。
平安時代の天慶年間(938年-947年)、淳和天皇勅願所浦島院勧福寿寺の僧侶が、隣域の稲荷山腹に社殿を建立し、伏見稲荷大社の御分霊を勧請したことが創祀と伝えられる。
以来、同寺の守護神及び附近一帯の産土神として崇敬を集めた。
鎌倉時代の文永11年(1274年)、元寇の折りには、鎌倉幕府の執権北条時宗が菊一の銘刀と神鈴を奉納して、国家の安泰を祈願した。
戦国時代に兵火に罹災してしまったものの、永禄2年(1559年)に再興され、大祭が行われた。
江戸時代前期の元禄2年(1689年)、稲荷山の中腹より山麓に遷座した。
これより、社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称されるようになった。
『新編武蔵風土記稿』神奈川町の条にも「笠脱稲荷社」とあり、この説話を紹介しているが、「をぼつかなき説なり」としている。
後に別当能満寺の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し、禾に皇を添えて「笠䅣稲荷大明神」と改称した。
明治2年(1869年)、旧社地が京浜間の鉄道敷設用地に接収されたため、現在地に移った。現在も社前を京急本線が通る。
明治17年(1884年)には村社に列し、1921年(大正10年)に神饌幣帛料供進社に指定された。
大正12年(1923年)の関東大震災により社殿が半壊、昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲には、社殿・神宝類のすべてが焼失。
しかし終戦後、いち早く仮社殿が再建された。昭和54年(1979年)には新社殿が完成した。
御祭神は、主神が宇迦之魂命で、相殿に明治天皇・日本武尊を祀る。例祭は8月8日・9日で、現在はその日に近い土・日曜日に行われる。
空襲で神輿が焼失したので、以前は神輿を借りて渡御が行われたが、平成17年(2005年)、氏子の協力で新調された。
老若男女が揃いの法被や股引に身を包み、重さ300キロの神社神輿を「せいやー、せいやー」と威勢よく担いで周辺5町を練り歩く。
文化財として、鎌倉時代末期の板碑が残る。また、2月3日の節分追儺式が市無形民俗文化財に指定されている。
この追儺式では、毎年2月の節分に、年男・稚児・神社役員が氏子町内を練り歩く。鳴り物を鳴らし、和歌を朗読し、除災招福の豆まきを行う。
12月25日頃に餅つきの神事がある。また、当社に土団子を供えれば病が治るとの特殊信仰もある。お礼に粢(ひとぎ)団子を供えるという。
境内社に、古峯神社・祖霊社があり、他に先の板碑や、庚申塔・地神塔・日露戦役記念碑がある。なお、市内保土ケ谷区今井町の子神社などを兼務している。
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五穀豊穣・商売繁盛、平穏安寧、旅行・交通安全
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