塩田の守護神の水天宮、災害・火災・戦火を避ける、1月に湯立神事
[住所]神奈川県横浜市西区平沼2-8-20
[電話]045-321-8895
平沼神社(ひらぬまじんじゃ)は、神奈川県横浜市西区平沼にある神社。近代社格では村社。水天宮平沼神社(すいてんぐうひらぬまじんじゃ)とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代後期の天保10年(1839年)、5代目平沼九兵衛が祀ったのに始まるとされる。
社伝によれば、当時の平沼一帯は塩田であり、塩田作業中の村人が入江に流れついた祠を見つけ、これを沖へ返そうとする度に岸に戻ってきた。
そこで、これを平沼九兵衛に伝えると、九兵衛が守護神のないこの地に祀れとの啓示であろうと、岸に上げて平沼新田の守護神として祀るようになった。
また、祠の中に筑後久留米の水天宮の神札が祀られていたため、「水天宮」と称して、安産と水の神として広く崇敬されたという。
当初は現在の横浜市西区西平沼町を流れる帷子川(今井川)に架かる元平沼橋付近に鎮座していた。その後の発展とともに鎮座地を何度か転じ、現在地への遷座は幕末の文久3年(1863年)。
明治政府の社格制度により、平沼の村社として現社号に改称し、大正2年(1913年)に本殿の前に拝殿を新築、現在の社殿構成となった。
なお、社名は当初から水天宮だったため、明治の改称後も、横浜の水天宮として崇敬され、横浜市の公開する戦前・戦後の市内地図にも「水天宮」と表記されている。
現在でも氏子・崇敬者からは水天宮平沼神社と称されている。平沼・西平沼町・高島・みなとみらい・緑町の氏神である。
御祭神は、天御中主神・安徳天皇。安徳天皇は水天宮の神で、安産と水の神とされる。
大正12年(1923年)の関東大震災で崩壊を免れ、近隣で発した火災でも類焼を免れた。昭和3年(1928年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲で横浜市内が焦土と化した中で、鎮座地の一角だけは焼け落ちなかった。数々の奇瑞から、火難除けとして崇められている。
平成元年(1989年)に御鎮座百五十年を迎え、記念事業として本殿の改築と境内整備工事が行われ、今日に至っている。
境内には他に、神楽殿、社務所(上札所・祈願控え室)、手水舎、鳥居、灯籠、牛石、絵馬掛け、天水桶などがある。
例祭は9月5日。前日の4日とあわせて、両日にわたり、境内では神代神楽や踊りが奉納され、町内連合神輿の宮入りが行われる。
1月5日が初水天宮で、午前10時から湯立神事を斎行する。神主が大釜の熱湯に浸した笹葉を持って参詣人の頭上に放撒する。この熱湯を浴びた者は、その年は無病息災。
例大祭期間の9月3日-5日、大晦日から初水天宮の1月5日まで、記念事業が行われた年に担がれる宮神輿が一般公開される。
戌の日には安産祈願などが執り行われ、腹帯持参の場合は受付の時に腹帯を渡すと押印していただける。
境内には、商売繁盛・五穀豊穰の平沼稲荷神社二社、火伏・火防・竈の竈三柱神社、学問芸道上達・試験合格の平沼天満宮が祀られている。
【ご利益】
火防、厄災除け、無病息災、安産(公式HP)
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平沼神社(ひらぬまじんじゃ)は、神奈川県横浜市西区平沼にある神社。近代社格では村社。水天宮平沼神社(すいてんぐうひらぬまじんじゃ)とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代後期の天保10年(1839年)、5代目平沼九兵衛が祀ったのに始まるとされる。
社伝によれば、当時の平沼一帯は塩田であり、塩田作業中の村人が入江に流れついた祠を見つけ、これを沖へ返そうとする度に岸に戻ってきた。
そこで、これを平沼九兵衛に伝えると、九兵衛が守護神のないこの地に祀れとの啓示であろうと、岸に上げて平沼新田の守護神として祀るようになった。
また、祠の中に筑後久留米の水天宮の神札が祀られていたため、「水天宮」と称して、安産と水の神として広く崇敬されたという。
当初は現在の横浜市西区西平沼町を流れる帷子川(今井川)に架かる元平沼橋付近に鎮座していた。その後の発展とともに鎮座地を何度か転じ、現在地への遷座は幕末の文久3年(1863年)。
明治政府の社格制度により、平沼の村社として現社号に改称し、大正2年(1913年)に本殿の前に拝殿を新築、現在の社殿構成となった。
なお、社名は当初から水天宮だったため、明治の改称後も、横浜の水天宮として崇敬され、横浜市の公開する戦前・戦後の市内地図にも「水天宮」と表記されている。
現在でも氏子・崇敬者からは水天宮平沼神社と称されている。平沼・西平沼町・高島・みなとみらい・緑町の氏神である。
御祭神は、天御中主神・安徳天皇。安徳天皇は水天宮の神で、安産と水の神とされる。
大正12年(1923年)の関東大震災で崩壊を免れ、近隣で発した火災でも類焼を免れた。昭和3年(1928年)、神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和20年(1945年)5月29日の横浜大空襲で横浜市内が焦土と化した中で、鎮座地の一角だけは焼け落ちなかった。数々の奇瑞から、火難除けとして崇められている。
平成元年(1989年)に御鎮座百五十年を迎え、記念事業として本殿の改築と境内整備工事が行われ、今日に至っている。
境内には他に、神楽殿、社務所(上札所・祈願控え室)、手水舎、鳥居、灯籠、牛石、絵馬掛け、天水桶などがある。
例祭は9月5日。前日の4日とあわせて、両日にわたり、境内では神代神楽や踊りが奉納され、町内連合神輿の宮入りが行われる。
1月5日が初水天宮で、午前10時から湯立神事を斎行する。神主が大釜の熱湯に浸した笹葉を持って参詣人の頭上に放撒する。この熱湯を浴びた者は、その年は無病息災。
例大祭期間の9月3日-5日、大晦日から初水天宮の1月5日まで、記念事業が行われた年に担がれる宮神輿が一般公開される。
戌の日には安産祈願などが執り行われ、腹帯持参の場合は受付の時に腹帯を渡すと押印していただける。
境内には、商売繁盛・五穀豊穰の平沼稲荷神社二社、火伏・火防・竈の竈三柱神社、学問芸道上達・試験合格の平沼天満宮が祀られている。
【ご利益】
火防、厄災除け、無病息災、安産(公式HP)
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