頼朝が三島を勧請、政子ゆかりの弁財天、実朝の舞楽面、あじさい
[住所]神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14
[電話]045-701-9992
瀬戸神社(せとじんじゃ)は、神奈川県横浜市金沢区瀬戸にある神社。近代社格では郷社。瀬戸三島明神とも呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
太古、平潟湾は泥亀町から釜利谷町小泉方面にまで入り込み、その中心に潮の干満によって急流を生ずる瀬戸があり、海神が祀られていた。これが当社の起源となる。
鎌倉時代初期の治承4年(1180年)、 鎌倉に入った源頼朝が、日頃崇敬する伊豆三島明神を、この霊域に遷祀、「瀬戸三島大明神」と呼ばれた。これが実質的な創建。
鎌倉時代末期の延慶初年(1308年)には正一位の神階を受けた。執権北條貞顕、関東管領足利持氏、成氏父子、小田原北條氏など歴代の武門名将の崇敬が篤かった。
室町時代には、鎌倉公方が4月8日に当社を参拝する慣例があり、特に足利成氏は何回も参拝し、社頭の弁天島境内での直会の有様も記録に残っている。
江戸時代草創期の慶長5年(1600年)、徳川家康も自ら参拝して100石の社領を寄進し、元禄以後は領主米倉丹後守をはじめ、金沢八景の中心として江戸市民にまで信仰が広がった。
元禄10年(1697年)の神号額には、神主千葉氏の家紋である九曜文の金具が打ち付けられている。享保3年(1718年)の神号額は吉田兼敬の筆による。
寛政5年(1793年)、寛政の改革で知られる老中松平定信も、各地の巡視の中で、当社を参拝、文化14年(1817年)の銘の神号額が伝わっている。
『新編武蔵風土記稿』社家分村の条にも「瀬戸明神社」とあり、社領や文化財について極めて詳細に記録が残されている。
明治6年(1873年)、郷社に列し、明治11年(1878年)には東照宮を、明治42年(1909年)には六浦町内の以下の諸社を合祀。
熊野神社・稲荷神社・太神宮・日光社・諏訪神社・山王社・浅間社・白山社の8社。現在は3月21日に合祀神例祭が行われている。
昭和43年(1968年)には神奈川県神社庁の献幣使参向神社に指定された。平成23年(2011年)の東日本大震災の翌月から、祈りの花として境内にヤマアジサイの植え込み始めた。
現在111株、111種類の「あじさいぼんぼり」が植わっている。「あじさいぼんぼり」とは、ヤマアジサイの花枝で両手を合わせたような祈りの形を表現している。
ヤマアジサイは「天に最も近い花」とされ、境内には、参道や鐘堂の周囲に、一花一花に名前を付け札がヤマアジサイに添えられている。
御祭神は、主神が大山祇命。須佐之男命(天王さま)・菅原道真公(天神さま)を配祀する。また、下記の合祀神を祀る。
伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉男命・倉稲魂命・天照皇大神・猿田彦命・味耕高彦根命・建御名方命・木花咲耶姫命・菊理姫命・徳川家康公
現在の社殿は江戸時代後期の寛政12年(1800年)の建造で、御屋根は昭和4年(1929年)の葺替え。
源実朝が使用し、母の北条政子が奉納したといわれる舞楽面二面(抜頭面と陵王面)が伝わる。国の重要文化財に指定されている。
鎌倉時代末期の作とされる木造守門神坐像が当社拝殿の両脇壇に安置されている。いずれも檜材を用いた寄木造りの像。類例の少ない守門神の古像で、市指定有形文化財。
神像群計7軀が伝わる。八臂弁才天が室町時代、木造神像男神坐像3軀・男神立像1軀・女神坐像2軀・附破損像1軀は南北朝時代の作。
境内の琵琶島神社に至る参道の右側に福石がある。もと社頭の海岸にあった。
頼朝が伊豆三島明神を勧請し、百日の日参をした時、汀に降りて海水で潔斎するのに、衣服を掛けたというので「服石」とも呼ばれた。
江戸時代には、この石の前で物を拾うと必ず福を授かるとして、江島神社の福石と同じく、上下の信仰をあつめた。金沢四石の一つ。
昇天山または飛石山金龍院境内に飛石がある。往昔、瀬戸明神はこの石の上に天降ったと伝わる。海神を祀った太古の漁民たちの磐座。やはり金沢四石の一つ。
境内社に琵琶島神社(弁天社)がある。頼朝の妻、北條政子が近江の竹生島明神を勧請したもので、古来琵琶島弁財天と呼ばれる。立身弁財天、船寄弁才天とも。
いわゆる琵琶島で、もとは当社前面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいたが、現在は陸続き。金沢八景の一つである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝える。
境内には、東照宮から移設された石灯篭一対、謡曲「放下僧」の仇討ちの現場が当社境内だったとの解説板、延宝8年(1680年)の大暴風で倒れた蛇柏槙(じゃびゃくしん)などがある。
例祭は5月15日が春季例大祭、11月23日が秋季例大祭。古記録にも「四月・十一月の中の酉の日」が例祭とある。
明治以後、太陽暦により、4月の祭りは5月15日に、11月の祭りは勤労感謝の日に斎行される新嘗祭と併せて行うことになった。
5月の例大祭には、神奈川県神社庁から献幣使が参向し、本社の神輿が琵琶島弁天社まで渡御、神楽御幣招一座を奉奏する神幸式(おわたり)が執行される。
7月7日から14日まで、天王巡幸祭が行われる。六浦全氏子町内を天王神輿が巡幸する、古来の疫除けの夏祭りで、7日が出御祭、14日が還御祭。
9日には「三ツ目神楽」と称する、古式の湯立神楽が行われる。「湯花神楽」とも「鎌倉神楽」ともいう。もと鎌倉八幡宮に神楽方として奉仕した職掌と呼ぶ社人の家に伝わる古式の神楽。
12月8日は歳の市祭で、境内に熊手・達磨などの市が立つ。おかめ付の開運熊手が授与される。
当社の社叢林は市指定文化財に登録されている。中でも樹齢720年とも伝えられるカヤの古木は、区内最古の横浜市指定名木。
なお、当社と琵琶島神社は横浜金沢七福神(金澤七福神)のうち弁財天が祀られている。横須賀市長浦の吾妻社、長浦神明社、長浦神社などを兼務している。
【ご利益】
厄災除け、海上安全・大漁満足、学業・受験合格、地域安全(公式HP)

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[電話]045-701-9992
瀬戸神社(せとじんじゃ)は、神奈川県横浜市金沢区瀬戸にある神社。近代社格では郷社。瀬戸三島明神とも呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
太古、平潟湾は泥亀町から釜利谷町小泉方面にまで入り込み、その中心に潮の干満によって急流を生ずる瀬戸があり、海神が祀られていた。これが当社の起源となる。
鎌倉時代初期の治承4年(1180年)、 鎌倉に入った源頼朝が、日頃崇敬する伊豆三島明神を、この霊域に遷祀、「瀬戸三島大明神」と呼ばれた。これが実質的な創建。
鎌倉時代末期の延慶初年(1308年)には正一位の神階を受けた。執権北條貞顕、関東管領足利持氏、成氏父子、小田原北條氏など歴代の武門名将の崇敬が篤かった。
室町時代には、鎌倉公方が4月8日に当社を参拝する慣例があり、特に足利成氏は何回も参拝し、社頭の弁天島境内での直会の有様も記録に残っている。
江戸時代草創期の慶長5年(1600年)、徳川家康も自ら参拝して100石の社領を寄進し、元禄以後は領主米倉丹後守をはじめ、金沢八景の中心として江戸市民にまで信仰が広がった。
元禄10年(1697年)の神号額には、神主千葉氏の家紋である九曜文の金具が打ち付けられている。享保3年(1718年)の神号額は吉田兼敬の筆による。
寛政5年(1793年)、寛政の改革で知られる老中松平定信も、各地の巡視の中で、当社を参拝、文化14年(1817年)の銘の神号額が伝わっている。
『新編武蔵風土記稿』社家分村の条にも「瀬戸明神社」とあり、社領や文化財について極めて詳細に記録が残されている。
明治6年(1873年)、郷社に列し、明治11年(1878年)には東照宮を、明治42年(1909年)には六浦町内の以下の諸社を合祀。
熊野神社・稲荷神社・太神宮・日光社・諏訪神社・山王社・浅間社・白山社の8社。現在は3月21日に合祀神例祭が行われている。
昭和43年(1968年)には神奈川県神社庁の献幣使参向神社に指定された。平成23年(2011年)の東日本大震災の翌月から、祈りの花として境内にヤマアジサイの植え込み始めた。
現在111株、111種類の「あじさいぼんぼり」が植わっている。「あじさいぼんぼり」とは、ヤマアジサイの花枝で両手を合わせたような祈りの形を表現している。
ヤマアジサイは「天に最も近い花」とされ、境内には、参道や鐘堂の周囲に、一花一花に名前を付け札がヤマアジサイに添えられている。
御祭神は、主神が大山祇命。須佐之男命(天王さま)・菅原道真公(天神さま)を配祀する。また、下記の合祀神を祀る。
伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉男命・倉稲魂命・天照皇大神・猿田彦命・味耕高彦根命・建御名方命・木花咲耶姫命・菊理姫命・徳川家康公
現在の社殿は江戸時代後期の寛政12年(1800年)の建造で、御屋根は昭和4年(1929年)の葺替え。
源実朝が使用し、母の北条政子が奉納したといわれる舞楽面二面(抜頭面と陵王面)が伝わる。国の重要文化財に指定されている。
鎌倉時代末期の作とされる木造守門神坐像が当社拝殿の両脇壇に安置されている。いずれも檜材を用いた寄木造りの像。類例の少ない守門神の古像で、市指定有形文化財。
神像群計7軀が伝わる。八臂弁才天が室町時代、木造神像男神坐像3軀・男神立像1軀・女神坐像2軀・附破損像1軀は南北朝時代の作。
境内の琵琶島神社に至る参道の右側に福石がある。もと社頭の海岸にあった。
頼朝が伊豆三島明神を勧請し、百日の日参をした時、汀に降りて海水で潔斎するのに、衣服を掛けたというので「服石」とも呼ばれた。
江戸時代には、この石の前で物を拾うと必ず福を授かるとして、江島神社の福石と同じく、上下の信仰をあつめた。金沢四石の一つ。
昇天山または飛石山金龍院境内に飛石がある。往昔、瀬戸明神はこの石の上に天降ったと伝わる。海神を祀った太古の漁民たちの磐座。やはり金沢四石の一つ。
境内社に琵琶島神社(弁天社)がある。頼朝の妻、北條政子が近江の竹生島明神を勧請したもので、古来琵琶島弁財天と呼ばれる。立身弁財天、船寄弁才天とも。
いわゆる琵琶島で、もとは当社前面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいたが、現在は陸続き。金沢八景の一つである「瀬戸の秋月」の夜景を今に伝える。
境内には、東照宮から移設された石灯篭一対、謡曲「放下僧」の仇討ちの現場が当社境内だったとの解説板、延宝8年(1680年)の大暴風で倒れた蛇柏槙(じゃびゃくしん)などがある。
例祭は5月15日が春季例大祭、11月23日が秋季例大祭。古記録にも「四月・十一月の中の酉の日」が例祭とある。
明治以後、太陽暦により、4月の祭りは5月15日に、11月の祭りは勤労感謝の日に斎行される新嘗祭と併せて行うことになった。
5月の例大祭には、神奈川県神社庁から献幣使が参向し、本社の神輿が琵琶島弁天社まで渡御、神楽御幣招一座を奉奏する神幸式(おわたり)が執行される。
7月7日から14日まで、天王巡幸祭が行われる。六浦全氏子町内を天王神輿が巡幸する、古来の疫除けの夏祭りで、7日が出御祭、14日が還御祭。
9日には「三ツ目神楽」と称する、古式の湯立神楽が行われる。「湯花神楽」とも「鎌倉神楽」ともいう。もと鎌倉八幡宮に神楽方として奉仕した職掌と呼ぶ社人の家に伝わる古式の神楽。
12月8日は歳の市祭で、境内に熊手・達磨などの市が立つ。おかめ付の開運熊手が授与される。
当社の社叢林は市指定文化財に登録されている。中でも樹齢720年とも伝えられるカヤの古木は、区内最古の横浜市指定名木。
なお、当社と琵琶島神社は横浜金沢七福神(金澤七福神)のうち弁財天が祀られている。横須賀市長浦の吾妻社、長浦神明社、長浦神社などを兼務している。
【ご利益】
厄災除け、海上安全・大漁満足、学業・受験合格、地域安全(公式HP)

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