江戸中期に伏見本宮を勧請、高村光雲作の神輿や江戸期絵馬
[住所]東京都文京区千駄木5-2-8
[電話]-
満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)は、東京都文京区千駄木にある神社。近代社格では無格社。現在は駒込天祖神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
江戸時代中期の明和4年(1767年)正月、当地住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧請、鎮座したという。
当地は江戸時代には上野寛永寺領内、輪王寺の御薪林で、東山とも呼ばれていたことから、東山稲荷とも称された。
また、豊臣秀吉が伏見稲荷を伏見桃山城に勧請してから幸運に恵まれて「満足」を呼称したため、当社も満足稲荷と称されるようになった。
秀吉ゆかりの満足稲荷は、京都市左京区に鎮座する。当社は伏見稲荷大社を勧請したのであって、京都市左京区の同名神社と、当社は直接の関係はないように見える。
たび重なる戦災、自然災害で、社殿の破損が進んだため、町内の崇敬者により、昭和27年(1952年)、今日のような社殿が造営復興された。
御祭神は倉稲魂命。当社には、上野の西郷隆盛像で知られる高村光雲作の神輿や、江戸期の絵馬などが保存され、境内も江戸の面影を今日に伝えている。
名もない児童遊園の先に当社は鎮座する。あるいは、境内の一部を児童遊園として開放している。
手水舎に安置されている手水鉢には、寛政10年(1798年)2月初午の銘がある。当社創立から30年にあたる。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、出世開運
【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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満足稲荷神社(まんぞくいなりじんじゃ)は、東京都文京区千駄木にある神社。近代社格では無格社。現在は駒込天祖神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
江戸時代中期の明和4年(1767年)正月、当地住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧請、鎮座したという。
当地は江戸時代には上野寛永寺領内、輪王寺の御薪林で、東山とも呼ばれていたことから、東山稲荷とも称された。
また、豊臣秀吉が伏見稲荷を伏見桃山城に勧請してから幸運に恵まれて「満足」を呼称したため、当社も満足稲荷と称されるようになった。
秀吉ゆかりの満足稲荷は、京都市左京区に鎮座する。当社は伏見稲荷大社を勧請したのであって、京都市左京区の同名神社と、当社は直接の関係はないように見える。
たび重なる戦災、自然災害で、社殿の破損が進んだため、町内の崇敬者により、昭和27年(1952年)、今日のような社殿が造営復興された。
御祭神は倉稲魂命。当社には、上野の西郷隆盛像で知られる高村光雲作の神輿や、江戸期の絵馬などが保存され、境内も江戸の面影を今日に伝えている。
名もない児童遊園の先に当社は鎮座する。あるいは、境内の一部を児童遊園として開放している。
手水舎に安置されている手水鉢には、寛政10年(1798年)2月初午の銘がある。当社創立から30年にあたる。
【ご利益】
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