幕末に大流行した端唄に記載された吉原・浅草界隈の稲荷
端唄『紀伊の国』と吉原の稲荷 - 幕末に大流行した端唄に記載された吉原・浅草界隈の稲荷
『紀伊の国』は、幕末から明治にかけて、全国的に大流行した端唄である。『紀伊の国』の歌詞は以下の通り。
(歌詞)
紀伊の国は 音無川の水上に 立たせたまふは
船玉山 船玉十二社 大明神
さて東国にいたりては 玉姫稲荷が 三囲へ 狐の嫁入り
お荷物を 担へは 強力稲荷さま
頼めば田町の袖摺も さしづめ今宵は待ち女郎
仲人は真前 真黒九郎助稲荷につまされて
子まで生したる信太妻
(読み)
きいのくには おとなしがわのみなかもに たたせたまふは
せんぎょくさん せんぎょくじゅうにしゃ だいみょうじん
さてとうごくにいたりては たまひめいなりが みめぐりへ きつねのよめいり
おにもつを かつへは ごうりきいなりさま
たのめばたまちのそでふりも さしづめこよいはまちじょろう
なこうどはまっさき まっくろくろすけいなりにつまされて
こまでなしたるしのだづま
タイトル自体は歌詞の冒頭を採ったものだと思うが、内容の70%にあたる「さて東国にいたりては」以降はすべて、吉原・浅草界隈の稲荷神社である。

なぜ、紀伊の国、これは船玉神社のこととも、熊野本宮大社のことともされるが、そこから始まって吉原の話に進むのかは不明。

ともかく、文字通り全国的に大流行したらしい。岩手県釜石市の御船祭に詠われた船歌も、この『紀伊の国』の歌詞が用いられており、「その流行の広がりには、テレビもラジオもない時代としては、驚異的のもの」(端唄「紀伊の国」、船玉神社)。

詳細は上記のリンク先が詳しいが、この『紀伊の国』がなぜ人気になったのか、は、それが吉原のことを歌ったものであり、多くの人に共感とあこがれを生じさせたからだろうという。

実際これらの稲荷、往時には吉原遊郭の多くの遊女が参拝しただろうし、これらの稲荷は「吉原」そのものを象徴し、連想させたと思われる。

この『紀伊の国』で謳われた稲荷は、すでに小祠程度になってしまっているものや、境内社になっているもの、合社されているものなどもあるが、すべて現存する。

いずれも江戸時代に錦絵などに盛んに書かれるなど江戸の名所で、往時は大人気だった。これら稲荷を巡れば、今でも江戸情緒に触れられる。

玉姫稲荷 玉姫稲荷神社

玉姫稲荷神社 東京都台東区清川
[特徴]奈良期の勧請、浅草「靴まつり」
[住所]台東区清川2-13-20
[電話]03-3872-3411

三囲 三囲神社

三囲神社 東京都墨田区向島
[特徴]東京スカイツリーのお膝元、三井グループ
[住所]墨田区向島2-5-17
[電話]03-3622-2672

強力稲荷 合力稲荷神社

合力稲荷神社 東京都台東区浅草
[特徴]吉原通いの定番、日本一の力持ちの力石
[住所]台東区浅草6-42-8
[電話]-

田町の袖摺 袖摺稲荷神社

袖摺稲荷神社 東京都台東区浅草
[特徴]頼朝が創祀、早雲が小田原城へ、後に江戸へ
[住所]台東区浅草5-48-9
[電話]-

真前 石浜神社

石浜神社 東京都荒川区南千住
[特徴]境内社に真先稲荷、招来稲荷
[住所]荒川区南千住3-28-58
[電話]03-3801-6425

真黒九郎助稲荷 吉原神社

吉原神社 東京都台東区千束
[特徴]吉原稲荷五社の一つ、明治期に合社
[住所]台東区千束3-20-2
[電話]03-3872-5966

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