江戸時代中期、釣船清次の厄神との不思議な説話に関係する神社
[住所]東京都杉並区和泉1-34-10
[電話]-

釣舟神社(つりふねじんじゃ)は、東京都杉並区和泉にある神社。神社庁に属さない単立神社。御朱印の有無は不明。

詳細は不明だが、江戸時代中期の厄除けに基づく民間信仰の説話に登場する「釣船清次」に関連する神社とされる。一般住宅のようで、参拝はできない。

釣船清次とは、大田南畝『半日閑話』巻三「釣船清次が事」に登場する。「本八丁堀二丁目半兵衛の長屋に住まいする清次が申し上げます」と始まる。

それによれば、清次が奇怪な話を言い広め、疫病除けの札を配りまくっていることが幕府の耳に達し、尋ねられたという。

清次は釣船の船頭として生計を立て、船を雇う客がないときには、自分で釣るために船を出していた。5月24日も客がなかったので、朝から清次一人で品川沖に船を出した。

品川沖の瀬でキスを100匹ほども釣り、同日昼過ぎ、以前より懇意の南小田原町の魚屋である鉄蔵方に売り渡すつもりで、築地本郷町の岸の波よけ内に船を留めた。

そこで船内を掃除していたところ、「見事なキスだな。ひとつくれないか」と言われたので、振り向いた。

顔つきよく分からなかったが、背丈は180センチほど、髪も髭も逆立てた男が、紫がかった栗色の兜羅綿のような衣類を着て、船の中程に立っていた。

清次が疵のないキスを一匹渡すと、受け取ってその場で喰い、薄気味悪いことに、清次の名前を尋ねた。清次がそれに答えると、男は次のように話した。

「おれは厄神だ。おまえは正直者だから、おまえや親類の家が『釣船清次』と名前を書いて出しておけば、その家には行かないようにしよう」。

清次は「かたじけない」と応えたような気がしたが、その一瞬、その男はどこかへ姿を消してしまった。

清次はふと正気づいて怖くなり、早々に南本郷町の河岸に漕ぎ着けて、残った魚を鉄蔵方に売ると、船でわが家に帰った。

清次はこの奇怪なことを妻子や長屋の者に話して聞かせたところ、たまたま藤八の妻の綱という者が疫病を患っていたので、清次の名を書いてくれるように頼まれた。

清次は字が書けないと断ったが、長屋の字の書ける者が「釣船清次」と見本を書いてくれたので、それと同じように書いて藤八方に渡すと、綱はすっかりよくなった。

これが評判となって、方々から名前を書いてくれるよう頼まれるようになり、その度に名前を書くようになったが、清次は礼物などは受け取らなかった。

ただ、釣船稼業があった清次は、依頼者が多くなりすぎ、しばらくするとその家業も差し支えるようになったため、依頼があっても断るようになったという。

後々の風説によれば、この疫神と名乗った者は大泥棒で、魚のごとく水中を潜り、また鳥のごとく屋根などを飛び歩いたが、寛政3年(1791年)に召し捕られたという。

【ご利益】
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釣舟神社 東京都杉並区和泉
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