秋川の南の明神山、200段の急な石段、江戸後期本殿、鳥居場とツガ林
[住所]東京都あきる野市雨間1941
[電話]-
雨武主神社(あめむしゅじんじゃ/あまむしじんじゃ)は、東京都あきる野市雨間にある神社。俗社号は「みょうじんさま」。基本無人で、御朱印は頂けない。
秋川の南側、明神山に鎮座する。200段、正確には196段ともされ、鳥居から数えれば231段あるいは233段ともされる長い石段を登った先に社殿がある。
なお、女坂というなだらかな階段も付設されている。社叢は、スギ・モミ・ツガなどの高木群で、特に密度の高いツガ林は、東京周辺の丘陵地では他に例のない貴重な針葉樹林。
創建年代は不詳。江戸時代前期の寛永16年(1639年)、山の麓に再建されたという。当時は雨武主大明神と称され、これが俗社号や地名になったと考えられる。
秋川を挟んで対岸には、「鳥居場」と呼ばれる当社の鳥居がある。江戸時代後期の天保3(1832年)に設けられたもの。秋川の中洲にも鳥居があったという。
遥拝鳥居とも呼ばれ、ここは昔、雨間地区に住む人々がわざわざ秋川を渡らなくても参拝できるよう、明神山を見渡せる所に鳥居を建て、遥拝所としたもの。
雨間(あめま)の鎮守として崇敬され続けている。現在の本殿は江戸時代後期の弘化3年(1846年)から嘉永2年(1849年)にかけて造営されたもので、三間社流造。
本殿には、中国の書物などに登場する人物や故事を描いた彫刻があり、飛騨の匠の系譜を引く、江戸京橋の著名な宮彫師である後藤三次郎橘恒俊の作とされる。
現在、この本殿は市の有形文化財に指定されている。また、当社全体として、あきる野百景の第63番。
明治42年(1909年)、現在地に遷座。この時、神殿の覆舎を新築し、従来の覆舎に手を加えて拝殿としたという。
御祭神は、天御中主命・速須佐之男命・品陀別命・大気都比売命。相殿に、宇毛祁智命(不詳)を祀る。
例祭は現在、9月第4日曜日。山車、太鼓、子供御輿、神輿渡御などが行われ、夜には境内で奉納演芸が行われる。
唐澤健一『秋川昔物語 秋川市ところどころ』には、当社神の伝承が記載されている。例えば、「麻で片目をついた神さま」。
当社神は荒っぽいことが嫌いで、お宮の前で相撲をとったら、気に入らなくて雨を降らせたこともあるくらいだったという。
ある日、当社神は秋川の北にある麻畑へ出かけて行き、麻の中の道を歩いているうち、麻の根につまずき転んだ。
その拍子に麻の葉で片目を傷つけてしまった。これを聞いた人々は、「神さまの片目を怪我させた麻を作るのは恐れ多いことだ」となり、以来、麻を作らなくなった。
また、やはり『秋川昔物語』には、当社神が貴志嶋神社の神に用事があり、貴志嶋神社を訪れる話なども記載されている。
【ご利益】
身体壮健、厄災除け、五穀豊穣、無病息災
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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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雨武主神社(あめむしゅじんじゃ/あまむしじんじゃ)は、東京都あきる野市雨間にある神社。俗社号は「みょうじんさま」。基本無人で、御朱印は頂けない。
秋川の南側、明神山に鎮座する。200段、正確には196段ともされ、鳥居から数えれば231段あるいは233段ともされる長い石段を登った先に社殿がある。
なお、女坂というなだらかな階段も付設されている。社叢は、スギ・モミ・ツガなどの高木群で、特に密度の高いツガ林は、東京周辺の丘陵地では他に例のない貴重な針葉樹林。
創建年代は不詳。江戸時代前期の寛永16年(1639年)、山の麓に再建されたという。当時は雨武主大明神と称され、これが俗社号や地名になったと考えられる。
秋川を挟んで対岸には、「鳥居場」と呼ばれる当社の鳥居がある。江戸時代後期の天保3(1832年)に設けられたもの。秋川の中洲にも鳥居があったという。
遥拝鳥居とも呼ばれ、ここは昔、雨間地区に住む人々がわざわざ秋川を渡らなくても参拝できるよう、明神山を見渡せる所に鳥居を建て、遥拝所としたもの。
雨間(あめま)の鎮守として崇敬され続けている。現在の本殿は江戸時代後期の弘化3年(1846年)から嘉永2年(1849年)にかけて造営されたもので、三間社流造。
本殿には、中国の書物などに登場する人物や故事を描いた彫刻があり、飛騨の匠の系譜を引く、江戸京橋の著名な宮彫師である後藤三次郎橘恒俊の作とされる。
現在、この本殿は市の有形文化財に指定されている。また、当社全体として、あきる野百景の第63番。
明治42年(1909年)、現在地に遷座。この時、神殿の覆舎を新築し、従来の覆舎に手を加えて拝殿としたという。
御祭神は、天御中主命・速須佐之男命・品陀別命・大気都比売命。相殿に、宇毛祁智命(不詳)を祀る。
例祭は現在、9月第4日曜日。山車、太鼓、子供御輿、神輿渡御などが行われ、夜には境内で奉納演芸が行われる。
唐澤健一『秋川昔物語 秋川市ところどころ』には、当社神の伝承が記載されている。例えば、「麻で片目をついた神さま」。
当社神は荒っぽいことが嫌いで、お宮の前で相撲をとったら、気に入らなくて雨を降らせたこともあるくらいだったという。
ある日、当社神は秋川の北にある麻畑へ出かけて行き、麻の中の道を歩いているうち、麻の根につまずき転んだ。
その拍子に麻の葉で片目を傷つけてしまった。これを聞いた人々は、「神さまの片目を怪我させた麻を作るのは恐れ多いことだ」となり、以来、麻を作らなくなった。
また、やはり『秋川昔物語』には、当社神が貴志嶋神社の神に用事があり、貴志嶋神社を訪れる話なども記載されている。
【ご利益】
身体壮健、厄災除け、五穀豊穣、無病息災
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