平安期に常陸を勧請、玉川大明神、江戸初期形式の本殿、鹿の舞
[住所]東京都青梅市長淵2-519
[電話]0428-22-2348
鹿島玉川神社(かしまたまがわじんじゃ)は、東京都青梅市長淵にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
平安時代の承平年間(931年-937年)、武蔵介源経基が常陸国鹿島神宮を勧請して創建したと伝わる。
当長淵の里の上古より神霊の降坐処と称され、里人が敬畏していた巨大な神石を清浄地として選び、大神を祀って鹿島大明神と称したという。
長淵村の鎮守として崇敬され、江戸時代初期の元和年間(1615年-1623年)、社殿を修復した。これが現在の本殿である。
実際には、元禄2年(1689年)に大規模な修理が行われているが、建築当初の形式を大きく変えるものではなく、旧状がよく保たれている。
社殿は、石積基壇上の礎石に土台を置き、丸柱を立て、床は浜床と五級木階で高く組み、三方に高欄付の縁を廻す。
内陣は、正面に開戸がつく他は板壁で囲われた閉鎖的な空間。屋根の目板打の流し板葺の形式が特徴的で、都内でも数少ない作例の一つ。
江戸時代前期の慶安2年(1649年)、当社は3代将軍徳川家光より社領2石8斗の御朱印状を拝領した。
承応2年(1653年)、玉川上水開削に際して神官伯耆守信久の氏神だった玉川大明神を祀った。現在でも相殿に祀られ、明治期の改称では社号にもなった。
その玉川大明神では、毎年正・3・6・9の四時祭事を行ない、無病息災を祈願し、3年に一度神符を献上したという。
江戸時代後期の文化2年(1805年)2月、奉行の許可を得て、江戸深川八幡境内において、江戸市民に神霊の拝受の儀を行ったとも伝わる。
『新編武蔵風土記稿』長淵村の条に「鹿島社」とあり、「入間郡北野村神職栗原左衛門社事を司どれり、村の鎮守なり」などと記載されている。
幕末の文久元年(1861年)、覆舎、幣殿を修復した。明治5年(1872年)、村社に列し、明治11年(1878年)には現社号に改称した。
御祭神は、建御雷之男神・大名牟遅神・伊豆能売神・豊玉昆売神。明治22年(1889年)、拝殿を再建し、大正9年(1920年)には調布村より二町歩の山林寄進があった。
例祭は9月19日。現在はそれに近い日曜日に行われる。市の無形民俗文化財に指定されている鹿の舞が奉納される。
鹿舞とも称され、「鹿島玉川神社獅子舞」とも。元和6年(1620年)から続くとされ、社殿修復記念で始まったものだという。
境内面積は828坪(3732平方メートルで、市の史跡に指定されている。
境内社に、八雲神社・蚕祖神社・天祖神社・菅原神社・八幡神社・住吉神社・熊野神社・春日神社・多賀神社・厳島神社・疱瘡神社・稲荷神社・稲荷神社がある。
これは部落内に祀られていた11社を、明治10年(1877年)5月に合祀したもの。また、境外社として、愛宕神社がある。
八雲神社の前には、『新編武蔵風土記稿』にも「岩石 本社の右の方にあり高一丈余、周囲は六抱ほど、名もなき石なれども、その状奇なり」と記述された巨石が現存する。
これが、当社由緒に出てくる、上古より神霊の降坐処と伝わる巨大な神石なのだろうか。
【ご利益】
平穏安寧、五穀豊穣・商売繁盛、産業振興、事業成功、縁結び

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鹿島玉川神社(かしまたまがわじんじゃ)は、東京都青梅市長淵にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
平安時代の承平年間(931年-937年)、武蔵介源経基が常陸国鹿島神宮を勧請して創建したと伝わる。
当長淵の里の上古より神霊の降坐処と称され、里人が敬畏していた巨大な神石を清浄地として選び、大神を祀って鹿島大明神と称したという。
長淵村の鎮守として崇敬され、江戸時代初期の元和年間(1615年-1623年)、社殿を修復した。これが現在の本殿である。
実際には、元禄2年(1689年)に大規模な修理が行われているが、建築当初の形式を大きく変えるものではなく、旧状がよく保たれている。
社殿は、石積基壇上の礎石に土台を置き、丸柱を立て、床は浜床と五級木階で高く組み、三方に高欄付の縁を廻す。
内陣は、正面に開戸がつく他は板壁で囲われた閉鎖的な空間。屋根の目板打の流し板葺の形式が特徴的で、都内でも数少ない作例の一つ。
江戸時代前期の慶安2年(1649年)、当社は3代将軍徳川家光より社領2石8斗の御朱印状を拝領した。
承応2年(1653年)、玉川上水開削に際して神官伯耆守信久の氏神だった玉川大明神を祀った。現在でも相殿に祀られ、明治期の改称では社号にもなった。
その玉川大明神では、毎年正・3・6・9の四時祭事を行ない、無病息災を祈願し、3年に一度神符を献上したという。
江戸時代後期の文化2年(1805年)2月、奉行の許可を得て、江戸深川八幡境内において、江戸市民に神霊の拝受の儀を行ったとも伝わる。
『新編武蔵風土記稿』長淵村の条に「鹿島社」とあり、「入間郡北野村神職栗原左衛門社事を司どれり、村の鎮守なり」などと記載されている。
幕末の文久元年(1861年)、覆舎、幣殿を修復した。明治5年(1872年)、村社に列し、明治11年(1878年)には現社号に改称した。
御祭神は、建御雷之男神・大名牟遅神・伊豆能売神・豊玉昆売神。明治22年(1889年)、拝殿を再建し、大正9年(1920年)には調布村より二町歩の山林寄進があった。
例祭は9月19日。現在はそれに近い日曜日に行われる。市の無形民俗文化財に指定されている鹿の舞が奉納される。
鹿舞とも称され、「鹿島玉川神社獅子舞」とも。元和6年(1620年)から続くとされ、社殿修復記念で始まったものだという。
境内面積は828坪(3732平方メートルで、市の史跡に指定されている。
境内社に、八雲神社・蚕祖神社・天祖神社・菅原神社・八幡神社・住吉神社・熊野神社・春日神社・多賀神社・厳島神社・疱瘡神社・稲荷神社・稲荷神社がある。
これは部落内に祀られていた11社を、明治10年(1877年)5月に合祀したもの。また、境外社として、愛宕神社がある。
八雲神社の前には、『新編武蔵風土記稿』にも「岩石 本社の右の方にあり高一丈余、周囲は六抱ほど、名もなき石なれども、その状奇なり」と記述された巨石が現存する。
これが、当社由緒に出てくる、上古より神霊の降坐処と伝わる巨大な神石なのだろうか。
【ご利益】
平穏安寧、五穀豊穣・商売繁盛、産業振興、事業成功、縁結び

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