新選組ゆかり日野総鎮守、近藤勇や沖田総司の奉納額、9月大神輿
[住所]東京都日野市日野本町3-14-12
[電話]042-581-1175
日野八坂神社(ひのやさかじんじゃ)は、東京都日野市日野本町にある神社。近代社格では村社。新選組ゆかりの日野総鎮守として知られ、JR中央本線「日野駅」近くに鎮座する。
創立年代は不詳。昔、日野本郷の多摩川の流れに沿って土淵という深淵があり、この付近は土淵の庄と呼ばれた。
ある時、多摩川洪水の後、数夜にわたってその淵に何か怪しい光るものがみえたという。里の老翁がこれを拾い上げた。
それは、金色燦然とした牛頭天王の神像であったため、里人は歓喜してこれを勧請し、祠を建立、鎮守として祀った。これが当社の起源である。
室町時代の応永5年(1398年)、僧儀雲が本宿と呼ばれる付近に土渕山観音院普門寺を開基、これが当社の別当寺となった。
普門寺は、永享年間(1429年-1440年)、権少僧都智伝により中興され、安土桃山時代の元亀元年(1570年)、現在の日野本町7丁目に移った。
この際、当社も現在地に遷座したという。江戸時代前期の慶安元年(1648年)、3代将軍徳川家光が社領免除の旨を下し、朱印地14石を寄進した。
寛延2年(1749年)には拝殿を造営した記録が残る。『新編武蔵風土記稿』日野本郷の条には「天王社」とある。
幕末になると、日野は新選組と関わりの深い地となった。まさに、近藤勇や副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだ地である。
当社本殿には、幕末の安政5年(1858年)に天然理心流近藤周助の門人達、近藤勇や沖田総司などにより奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられている。
この額は現在、当社例祭の他、「ひの新選組まつり」でも公開されている。
明治になり神仏分離、当社は村社に列し、現社号に改称した。御祭神は、素盞嗚尊。相殿に、櫛御気野御命・倉稲魂命・大山咋命を祀る。
明治7年(1874年)、初代南多摩郡長となった佐藤俊正の願いによって、有栖川宮熾仁親王より本殿と鳥居にある扁額の「八坂社」の文字が下賜された。
明治13年(1880年)、現在も使われている神輿が完成し、翌年には旧神輿庫を建造。昭和3年(1928年)には本殿を保護する覆殿を造営した。
昭和51年(1976年)、当時の宮司による寄進で社務所を建設。平成9年(1997年)、氏子崇敬者の寄進で本殿修復、覆殿改築がなされ、現在に至っている。
本殿は、江戸時代後期の寛政12年(1800年)に完成したもので、一間社造り、屋根は流れ造りで、正面に千鳥破風・軒唐白木彫りの彫刻垂木の組物などがある。
建築技術の粋をつくした絢爛華麗な江戸後期の典型的な社殿(本殿)建築とされる。現在は市の文化財に指定されている。
例大祭は、毎年9月敬老の日を最終日とする3日間、盛大に行われ、特に「千貫みこし」と呼ばれる神社神輿の渡御は、都内・近県でも有名な神事だという。
境内社に、江戸時代中期の享保18年(1733年)に鶴岡八幡宮を勧請し、大正12年(1923年)に境内社の厳島神社を合祀した八幡社がある。
他に、小祠の山王社、由緒不明な祠や筆塚などが置かれている。
参拝すれば、御朱印を頂ける。平成28年(2016年)11月頃より新選組を思わせるだんだら模様の御朱印となり、人気を博している。また、境内社の八幡社、兼務社の日野宮神社の御朱印も頂ける。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災、武運長久・勝運
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日野八坂神社(ひのやさかじんじゃ)は、東京都日野市日野本町にある神社。近代社格では村社。新選組ゆかりの日野総鎮守として知られ、JR中央本線「日野駅」近くに鎮座する。
創立年代は不詳。昔、日野本郷の多摩川の流れに沿って土淵という深淵があり、この付近は土淵の庄と呼ばれた。
ある時、多摩川洪水の後、数夜にわたってその淵に何か怪しい光るものがみえたという。里の老翁がこれを拾い上げた。
それは、金色燦然とした牛頭天王の神像であったため、里人は歓喜してこれを勧請し、祠を建立、鎮守として祀った。これが当社の起源である。
室町時代の応永5年(1398年)、僧儀雲が本宿と呼ばれる付近に土渕山観音院普門寺を開基、これが当社の別当寺となった。
普門寺は、永享年間(1429年-1440年)、権少僧都智伝により中興され、安土桃山時代の元亀元年(1570年)、現在の日野本町7丁目に移った。
この際、当社も現在地に遷座したという。江戸時代前期の慶安元年(1648年)、3代将軍徳川家光が社領免除の旨を下し、朱印地14石を寄進した。
寛延2年(1749年)には拝殿を造営した記録が残る。『新編武蔵風土記稿』日野本郷の条には「天王社」とある。
幕末になると、日野は新選組と関わりの深い地となった。まさに、近藤勇や副長の土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちが激しい稽古に励んだ地である。
当社本殿には、幕末の安政5年(1858年)に天然理心流近藤周助の門人達、近藤勇や沖田総司などにより奉納された額があり、欅板に大小二本の木刀が架けられている。
この額は現在、当社例祭の他、「ひの新選組まつり」でも公開されている。
明治になり神仏分離、当社は村社に列し、現社号に改称した。御祭神は、素盞嗚尊。相殿に、櫛御気野御命・倉稲魂命・大山咋命を祀る。
明治7年(1874年)、初代南多摩郡長となった佐藤俊正の願いによって、有栖川宮熾仁親王より本殿と鳥居にある扁額の「八坂社」の文字が下賜された。
明治13年(1880年)、現在も使われている神輿が完成し、翌年には旧神輿庫を建造。昭和3年(1928年)には本殿を保護する覆殿を造営した。
昭和51年(1976年)、当時の宮司による寄進で社務所を建設。平成9年(1997年)、氏子崇敬者の寄進で本殿修復、覆殿改築がなされ、現在に至っている。
本殿は、江戸時代後期の寛政12年(1800年)に完成したもので、一間社造り、屋根は流れ造りで、正面に千鳥破風・軒唐白木彫りの彫刻垂木の組物などがある。
建築技術の粋をつくした絢爛華麗な江戸後期の典型的な社殿(本殿)建築とされる。現在は市の文化財に指定されている。
例大祭は、毎年9月敬老の日を最終日とする3日間、盛大に行われ、特に「千貫みこし」と呼ばれる神社神輿の渡御は、都内・近県でも有名な神事だという。
境内社に、江戸時代中期の享保18年(1733年)に鶴岡八幡宮を勧請し、大正12年(1923年)に境内社の厳島神社を合祀した八幡社がある。
他に、小祠の山王社、由緒不明な祠や筆塚などが置かれている。
参拝すれば、御朱印を頂ける。平成28年(2016年)11月頃より新選組を思わせるだんだら模様の御朱印となり、人気を博している。また、境内社の八幡社、兼務社の日野宮神社の御朱印も頂ける。
【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災、武運長久・勝運
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