平安初期創建の大宮神社、七座七社の惣鎮守、江戸期再建の本殿
[住所]大阪府泉佐野市中庄834
[電話]072-462-7080

奈加美神社(なかみじんじゃ)は、大阪府泉佐野市中庄にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は不詳だが、平安時代にまで遡るとされる。平安時代初期、さらには奈良時代との説もある。当初は大宮神社と称していたという。

平松家、藤田家の古文書によれば、鎌倉時代の宝治2年(1248年)にはすでに大宮神社は分社をなし、佐野・大武家村に大引欠神社(大引分神社)を有していたという。

その後も分霊分社が続き、室町時代の文明2年(1470年)には、近郷7ヶ村に及ぶ七座七社の惣鎮守社として、村人の崇敬を一手に集めたという。

その往時、宏壮深遠な神域をもつ名実とも大宮であったとされ、「今に大宮様七膳づつすはるや」と、七座の神饌を献ずる習わしは明治時代まで続いた。

湊の教蓮寺古文書によれば、大宮神社は紀州根来寺の触下にあり、社領3000石を有し、大宮大明神、または大宮庵とも称され、真言宗の社僧が祭祀にあたった。

しかし、安土桃山時代の天正5年(1577年)、織田信長の根来攻めの際、この大宮神社もことごとく焼き払われた。

江戸時代初期の慶長15年(1610年)8月、ときの代官・新川宮内大輔、沙門松室坊賴真法師などが神社の再建にあたり、現位置に社殿が造営された。

この時に再建された本殿が現在の本殿で、府指定文化財。三間社流造の桧皮葺、正面には軒唐破風と千鳥破風を設け、千木・勝男木を頂く。

正側面三方に縁を廻らし、木鼻や拳鼻などの多様な彫刻が特徴的で、極彩色の華麗な装飾が施されている。

享保元年(1716年)から、元文元年(1736年)、宝暦6年(1751年)、安永7年(1778年)、寛政10年(1797年)、文正元年(1818年)、天保11年(1840年)、万延元年(1860年)、明治13年(1880年)、明治33年(1900年)、大正9年(1920年)と11回にも及ぶ式年造営が行われた。

明治5年(1872年)、村社に列した。当社の主祭神は、誉田別命(応神天皇・八幡さま) 、息長帯姫命(神功皇后・応神天皇の母君)、比売命。

明治41年(1908年)から翌明治42年(1909年)にかけて、中庄・上瓦屋・湊の3ヶ村の字々の神社が合祀された。現在、下記の配祭神が祀られている。

天児屋根命菅原道真公・道祖神・豊受保神水久萬利神・美刀志神・八衢彦神・八衢姫神・久那斗神・蛭子命市杵島姫命素盞鳴命

この合祀の際、3ヶ村の奈(中庄)加(上瓦屋)美(湊)の頭仮名文字を綴合せて、現社号に改称した。

ただし、七座七社と言われた他の6社、分社の大引分神社・中宮神社・射手弦神社・今村神社の四社と、孫分社の新引分神社・今村神社の二社は、佐野春日神社に合社された。

例祭は10月体育の日の前日で、秋祭り。4月29日は祈年祭・昭和祭で春祭り。1月9-11日には十日戎が行われる。

境内摂社に、大宮稲荷神社(豊受保神・水久萬利神・美刀志乃神・白玉大明神)がある。昭和46年(1971年)、奉鎮したもの。

他に、約2メートルほど、南北朝時代の永徳3年(1382年)12月18日の銘がある春日式円形柱六角火袋の石燈蘢一基がある。

【ご利益】
厄災除け、安産、家内安全、交通安全、学業・受験合格、商売繁盛(公式HP
奈加美神社 大阪府泉佐野市中庄
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