日本医薬総鎮守「神農さん」、11月神農祭と「張子の虎」
[住所]大阪府大阪市中央区道修町2-1-8
[電話]06-6231-6958

少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区道修町にある神社。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

ここ大阪道修町(どしょうまち)は、豊臣時代から薬種取引の場として、薬種業者が集まるようになっていた。

江戸時代になると、幕府は道修町の薬種屋124軒を株仲間として、唐薬種や和薬種の適正検査をし、全国へ売りさばく特権を与えた。

薬は人命に関わるものであり、その吟味は大変難しい。そこで神のご加護によって職務を正しく遂行しようということになった。

江戸時代中期の安永9年(1780年)、伊勢講が京都の五條天神より少彦名命を仲間の寄合所に勧請し、神農炎帝王とともに奉斎したのが当社の起源。

御祭神は、少彦名命・神農炎帝(神農氏)。少彦名命は、大国主命の国造りの協力神で、酒神、温泉神穀霊、まじないなど。

中国医薬の祖神である神農炎帝は、商売の神でもあり、百草を嘗めて効能を確かめ、医薬と農耕を諸人に教えたと伝わる。

江戸時代後期の天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱で仲間会所が焼失したため、天保11年(1841年)、仲間会所内に祠堂を設けて遷座した。

明治39年(1906年)、府より近隣の神社に合祀するか、独立した神社として継続させるかの判断を求める旨の訓令を受け、独立した神社としていく方針を固めた。

この時、境内地の拡充、社殿・社務所の新築が行われ、明治43年(1910年)、正遷宮が斎行された。

昭和55年(1980年)10月、鎮座200年を記念して拝殿・本殿を修復、社務所を新築し、11月22日に二百年祭が斎行された。以降、10年に一度、式年大祭を行うことになった。

例祭は11月22日・23日で例大祭、神農祭。大阪の祭りは、今宮戎神社の「十日戎」で始まり、当社の「神農祭」で終わる、と称される。

そのため、この神農祭は「止めまつり」、あるいは「とめの祭り」とも呼ばれる。道修町周辺の薬局・製薬会社などには、祭礼の提灯(ちょうちん)が掲げられている。

辺りには、切り出した1本の大きな竹に張子の虎と製薬会社の製品(薬剤が入っている外箱)、吹き流しなどが吊るされたものを多く見かける。

神農祭で授与される、五葉笹に吊るされた「張子の虎」(神虎)が有名。

安政5年(1822年)、大坂でコレラが流行したが、道修町の薬種仲間が疫病除薬として「虎頭殺鬼雄黄圓」(ことうさっきうおうえん)という丸薬を調合した。

それを、当社の神前で祈祷し、罹患者(りかんしゃ)などに施した。その時に合わせて配布されたのが「張子の虎」。

その丸薬の効能が高かったため、「張子の虎」の御守がよく知られるようになった。張子の虎と薬の文字をあしらった当社オリジナルの御朱印帳もある。

この五葉笹(神虎)には、表面に「祈願 家内安全 無病息災」と記された赤い紙札、「薬」の文字印が腹に押された「張子の虎」、少彦名大神御靈と記された布製の神札、花詞(はなことば)の札が付けられている。

この神農祭は12月の冬至祭とともに、「薬祖講の行事」として、市の無形民俗文化財(民俗行事)に指定されている。

2月3日に節分厄除け大祭がある。平成13年(2001年)に護摩焚き神事が復活、現在では1000名以上の参拝者で賑わう神事。ぜんざいの振る舞いもある。

なお、道修町では明治期より動物用医薬品を扱う製薬会社も多く、近年のペット飼育増加に伴い、1月11日を「ペットの初詣」ペット健康成就祈願祭として催行している。

毎月23日には献湯祭で、湯神楽が奉奏される。

当社は、日本医薬総鎮守と称し、道修町の神農さん、神農さん、大阪のお伊勢さんなどと親しまれている。授与品も豊富で、特に天然石御守の腕輪守が人気。

また、伊勢講から始まった神社でもあるため、伊勢の神宮(伊勢神宮)のお札を求める参拝者で正月は賑わう。

【ご利益】
病気平癒、無病息災、病魔退散、医薬関係者の守護神(公式HP
少彦名神社 大阪府大阪市中央区道修町
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少彦名神社 大阪府大阪市中央区道修町の御朱印