神功皇后が命名した地、記念に八坂神社を勧請、無言の行事を継承
[住所]大阪府大阪市西淀川区花川2-1-12
[電話]06-6471-3903

鼻川神社(はなかわじんじゃ)は、大阪府大阪市西淀川区花川にある神社。。参拝すれば、御朱印を頂ける。

神功皇后が朝鮮半島への遠征の帰りにこの地に立ち寄り、鼻川という地名を命名した。地名は現在「花川」となっているが、当社は神功皇后以来の名を継承している。

神功皇后が当地に立ち寄った際、当地民は取り急ぎ、つきたての餅を柏の葉に載せ、野に咲いていた草花を添えてお出ししたという。

すると、皇后はこれをことのほか喜び、賞味した。その時、地名がないということで、対岸につきだした地形が「鼻」のようになっていることから、「はなかわ」と命名したという。

また、渡しを「かしわ」と命名し、以来、この渡しを「かしわの渡し」と呼びならわしたという。

その神功皇后による命名を記念して、対岸の海老江から須佐之男命(素盞嗚尊)を勧請し、「鼻川の社」「花川の社」としたのが始まりという。

海老江の八坂神社のことと思われるが、海老江八坂神社の創建は不詳。海老江の地名としては平安期前後から確認でき、創建もその当たりともされる。

ただ、当社との関係を考えれば、海老江八坂神社も神功皇后の時代には存在していたことになる。

当社も八坂神社と呼ばれていた時があったようだが、どちらにしろ、創立以来、当社の祭礼には、柏餅と菜の花を束ねてお供えするのが慣例となった。

祭時では住民の交替により年々の祭費を集め、宮座を組み、その料を賄ったという。その当番頭を「とや」と称し、神事一切を主宰した。

この習慣は今も受け継がれ、現今の特殊神事として最も厳粛に奉仕し、無言の行事として伝統を承継している。

現在地も淀川近くであるが、現在地は後述の明治期の遷座によるもの。ただし、一貫して淀川近くに鎮座していた。

そのため、たびたび水害に見舞われたようで、その都度村民により、修復・再建されてきたという。

鎌倉時代前期の承久3年(1221年)、神前に豊作を祈願したところ、稀に見る豊作となり、集落を挙げて神恩に感謝した。

一粒万倍のご利益を賜ったとして、社地を「万倍の地」と称し、同年、社殿を改築して、通常のお供えの他、はじめて甘酒を献じたという。万倍の地名は現在にも伝わる。

当社の御祭神は、神功皇后・素盞嗚尊。明治30年(1897年)、淀川改修工事にともない、社地が河川敷となったため、現在地に遷座した。

明治43年(1910年)には姫嶋神社に合祀されるが、大正13年(1924年)には独立、昭和9年(1934年)、社殿が再建された。

7月中旬には夏祭りがあり、地車(だんじり)・神輿・枕太鼓の巡行がある。

境内社に稲荷社があり、拝殿横に西成大橋の親柱がある。また、当社の北700メートルほどの公園に御旅所がある。

【ご利益】
厄災除け、無病息災、病魔退散、安産
鼻川神社 大阪府大阪市西淀川区花川
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
鼻川神社 大阪府大阪市西淀川区花川の御朱印