新羅神社か? 江戸期の移住で旧坐摩神社の関係者が崇敬
[住所]大阪府大阪市浪速区木津川2-4
[電話]-
白木神社(しらきじんじゃ)は、大阪府大阪市浪速区木津川にある神社。御朱印の有無は不明。
坐摩神社の旧鎮座地は南渡辺で、その川向かいが新羅江庄、つまり後の北渡辺で、ここの氏神が当社だったようだ。
大坂城築城に際して、坐摩神社は移転を強いられ、南渡辺の人たちは船場の西の坐摩神社の現在地に移った。
しかし北渡辺の人たちの移転先はなかなか決まらず、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)になって現在の浪速区にようやく落ち着いた。
その一部は浪速神社を創立したが、この木津川地域は渡辺村と呼ばれるようになり、新羅江庄の神を当社で奉斎した。当社の御祭神は白木大神。または市杵島姫命とも。
境内社に稲荷社がある。境内にある由緒書はおそらくこの境内社のもの。ちなみに、本社の由緒を記したものはない。
その由緒書によれば、明治41年(1908年)、この神祠に白蛇が憑依していたので、神使、守護神「巳の神」として祀られた。
水難ごとに霊験あらたかな加護があり、さらに船玉神として、船舶航行の守護神となったという。
そこで、「白蛇宇賀神倉稲魂神」として、人々の生活保護の神となり、家内安全・無病息災・商売繁盛と広く人々の信仰を集め、崇敬された。
大正4年(1915年)8月、現在地に遷座した。
当地は古くから新羅江と呼ばれ、新羅洲ともされ、当社は新羅神社であるという説がある。本社・境内社ともに、素盞鳴尊の娘神を祀っている。
ただし、境内社の方は由緒書によれば、近代からの祭祀ではある。ただ、当地一帯が、新羅の地であったことは間違いない。
江戸前期の移住前、当社がいつから当地で祭祀されていたかは不明だが、新羅に関係する神社として、古くから奉斎されていた可能性がある。
【ご利益】
家内安全、地域安全、商売繁盛、無病息災

【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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白木神社(しらきじんじゃ)は、大阪府大阪市浪速区木津川にある神社。御朱印の有無は不明。
坐摩神社の旧鎮座地は南渡辺で、その川向かいが新羅江庄、つまり後の北渡辺で、ここの氏神が当社だったようだ。
大坂城築城に際して、坐摩神社は移転を強いられ、南渡辺の人たちは船場の西の坐摩神社の現在地に移った。
しかし北渡辺の人たちの移転先はなかなか決まらず、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)になって現在の浪速区にようやく落ち着いた。
その一部は浪速神社を創立したが、この木津川地域は渡辺村と呼ばれるようになり、新羅江庄の神を当社で奉斎した。当社の御祭神は白木大神。または市杵島姫命とも。
境内社に稲荷社がある。境内にある由緒書はおそらくこの境内社のもの。ちなみに、本社の由緒を記したものはない。
その由緒書によれば、明治41年(1908年)、この神祠に白蛇が憑依していたので、神使、守護神「巳の神」として祀られた。
水難ごとに霊験あらたかな加護があり、さらに船玉神として、船舶航行の守護神となったという。
そこで、「白蛇宇賀神倉稲魂神」として、人々の生活保護の神となり、家内安全・無病息災・商売繁盛と広く人々の信仰を集め、崇敬された。
大正4年(1915年)8月、現在地に遷座した。
当地は古くから新羅江と呼ばれ、新羅洲ともされ、当社は新羅神社であるという説がある。本社・境内社ともに、素盞鳴尊の娘神を祀っている。
ただし、境内社の方は由緒書によれば、近代からの祭祀ではある。ただ、当地一帯が、新羅の地であったことは間違いない。
江戸前期の移住前、当社がいつから当地で祭祀されていたかは不明だが、新羅に関係する神社として、古くから奉斎されていた可能性がある。
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