真田丸跡、真田幸村像と11月に真田まつりで「真田の抜け穴」公開
[住所]大阪府大阪市天王寺区玉造本町14-90
[電話]06-6761-0372

三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

第18代反正天皇の時代の創建と伝えられる。創建以来、武内宿禰の末裔である武川氏が神職として奉職し、現在は86代目と伝える。

社伝によれば、江戸時代前期の寛文元年(1661年)に一旦現在地の南東の鎌八幡の隣に遷座し、江戸時代中期の宝永3年(1706年)に再び現在地に戻ったという。

かつては「姫山神社」と称し、一帯は「姫の松原」と呼ばれていた。

中風封じの神として有名な陸前国宮城郡青麻、現在の宮城県仙台市宮城野区の三光宮(現 青麻神社)を勧請し、そちらの方が有名になった。

明治15年(1882年)の『大阪名所独案内』に三光宮を勧請した旨が書かれており、勧請はそれ以前ということになる。

明治41年(1908年)、姫山神社に境内社である三光宮を合祀し、現社名に改称した。御祭神は、天照大神月読尊素戔嗚尊

3柱の神を祀ることから「三柱神社」とも、「日月山神社」ともいう。いわゆる三貴子で、素戔嗚尊が「山」にあたると思われるが、『古事記』によれば、「海」

昭和20年(1945年)6月1日、戦禍により各社殿など建物一切と氏子全域が焼失。戦後になり、順次復興された。

しかし、戦禍の痕跡を確認できる片柱の鳥居が残されている。この片柱には、大相撲の力士の名が刻まれている。

当社の鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。

かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣では、真田信繁(真田幸村)が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿の下に残っている。

ただ、現在残っている抜け穴は、真田信繁が作ったものではなく、真田丸を攻めた前田軍の塹壕の痕跡の可能性が高い、とも。

境内には黒田屏風に描かれた真田信繁をもとにした像がある。当社の象徴「真田幸村の像」として、知られる。

11月第1日曜日に真田祭(真田まつり)がある。普段は鉄格子がはめられている「真田の抜け穴」が開放され、公開される。

境内では「子ども甲冑試着体験」などが催される。舞台ではオカリナ演奏などもある。真田丸攻防戦での勝利にあやかり、勝運のご利益があるともされる。

なお、幸村最期の地とされるのが、同じ天王寺区の逢阪にある安井神社(安居天満宮)で、同社にもやはり、幸村の銅像がある。

境内社に、仁徳天皇社(仁徳天皇)、武内宿禰社(武内宿禰)、野見宿禰社(野見宿禰)、主守稲荷社がある。

このうち、武内宿禰社は社家である武川氏の祖神で、長寿であることから七福神のうちの寿老人と同一視され、大阪七福神(浪速七福神)の一つとなっている。

また、野見宿禰社は幕末の安政6年(1859年)7月に天満砂原屋敷の相撲場に勧請されたもので、明治19年(1886年)に当社境内に遷座した。

境内は桜の名所として知られ、毎年4月上旬は桜見物で賑わい、地域住民の憩いの場となっている。

【ご利益】
武運長久・勝運、開運招福、厄災除け、健康長寿(公式HP
三光神社 大阪府大阪市天王寺区玉造本町
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