平安期に北野を歌垣山山頂に勧請、桃山期に現在地へ、大イチョウ
[住所]大阪府豊能郡能勢町倉垣991
[電話]072-737-0055

倉垣天満宮(くらがきてんまんぐう)は、大阪府豊能郡能勢町倉垣にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

京都府亀岡市と隣接する能勢町の倉垣地区に鎮座する。創建は平安時代の天喜2年(1054年)。御祭神は菅原道真公。

時の領主であった源頼基が、京都北野の天満宮の御分霊を歌垣山の山頂に勧請し、祀ったのが始まりと伝わる。

歌垣山は古代から、共同体をさらに確かなものにするため、神を祭祀する斎庭として機能していたとされる。農耕祭祀のかたわら、若き男女の宴や歌垣の集いの場になったともされる。

麓に広がる倉垣盆地(千石谷)を眼下にして、剣尾山、三草山、妙見山などの山々が望まれ、月の出の眺めがよく、平坦な山頂は「歌垣」に格好の場所となったようだ。

由緒書によれば、永久3年(1115年)、当地を襲った大干ばつの時に住民が雨乞いを行うと、たちまち霊験があらわれ、慈雨により山野が潤ったという。

山の三合目に鳥居が建てられ、以来人々からは「奥天神」とも呼ばれた。

安土桃山時代の天正12年(1584年)、歌垣山の麓である現在地に遷座した。参道の近くには銀寄せ栗の原木があったとされている。

江戸時代中期の宝暦3年(1753年)のころ、肥後熊本へ行っての帰り、広島より栗の実を持ち帰り植えたところ良い味ができたので、盛んに栽培されるようになった。

大干ばつの際に都で販売したところ、銀札が箱詰めになるほど集まったので、「銀寄」と名付けられた。

現在の社殿は江戸時代後期の嘉永元年(1848年)に建造されたもの。石鳥居には、延享三年(1746年)の銘がある。

南北朝時代末期の明徳2年(1391年)2月に建立され、今は廃寺となっている神仏習合当時の本神山神宮寺という宮寺跡が残っている。

明治40年(1907年)、字畑の若宮八幡神社(大山咋命)、大字杉原の村社八幡大神宮(応神天皇)を合祀。広い境内の中には八幡神社と稲荷神社、少し離れて諏訪神社がある。

御神木は大イチョウ。府最大のイチョウの巨樹で、「天満天神社のイチョウ」として府指定の天然記念物。並んで植わった2本のイチョウが合体したようにも見える。

現在地に遷座した天正12年にはすでに「翠枝千年なりき」といわれ、今なお樹勢は旺盛。幹周9メートル、樹高22mメートルで、樹齢は400年だという。

他に、樹高15メートル、幹周2.45メートルのヤマザクラがある。

【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒、祈雨・天候、地域安全
倉垣天満宮 大阪府豊能郡能勢町倉垣
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