古くからの稲荷大神、桃山期に稲荷二社を合祀、夏に盆踊り
[住所]東京都三鷹市中原3-4-4
[電話]0422-46-2308

中嶋神社(なかじまじんじゃ、中島神社)は、東京都三鷹市中原にある神社。近代社格では村社。現在は國領神社の兼務社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。戦国時代の弘治3年(1557年)に古宮山に勧請された稲荷社と、境内にあった稲荷社が、安土桃山時代の慶長3年(1598年)に合祀された。

『新編武蔵風土記稿』中仙川村の条に「稲荷社」とあり、「両稲荷合殿の祠宇」と記載されている。慶長3年の棟札が2枚保管されているともある。

その棟札はいずれも摩滅して文字は読み取りずらいが、大檀那柴田三右衛門及麻生弾正の名があり、弾正は今の百姓文次郎の先祖だという。

弾正は甲斐国の出身だが、当地に来て土着。文次郎家に武田信玄の画像があり、弾正より伝来したものと伝わっている。

また、柴田については、慶長19年(1614年)に大阪の陣の軍功により柴田勝家の孫である勝重が当地付近に加増された。市内新川には、勝淵神社がある。

御祭神は、宇迦乃御魂命大己貴命。明治6年(1873年)12月、村社に列し、現社名に改称した。現在の社殿は、大正7年(1918年)の建築。

現在、『新編武蔵風土記稿』にある慶長3年の棟札は不詳だが、江戸時代前期の元禄2年(1689年)の棟札が伝わり、古来、稲荷大神として近隣の崇敬が篤かったことがうかがえる。

境内には不動堂がある。『新編武蔵風土記稿』にも「不動堂」と記載されている。中仙川不動堂とも呼ばれ、本尊は木造不動明王立像で、慈覚大師の作と伝わる。

その起源は定かではないが、往昔より、この地に文殊院という修験者がおり、元禄の頃から大行印慶元という修験者によってその名も大行院と改められた。

文殊院時代からの宝物として、萌黄錦地五色、長さ2尺2寸の新田義貞の手旗と、義貞の部下で屈指の強兵といわれた篠塚伊賀守自筆の、鎌倉追討に際しての願書があったという。

願書は鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)5月のものだったようだが、現在、その所在は不明になっている。

現在の不動堂は間口2間、奥行3間で、昭和40年(1965年)5月に再建されたもの。

堂内には、不動明王像 不動明王及び二童子像、摩多羅神像、烏枢沙摩明王像、役行者及び二鬼像など五体の尊像が守護神として合祀されている。

他の境内末社に、稲荷神社・厳島神社・浅間神社(冨士嶽神社)がある。

例祭は10月5日で例大祭。現在は付近の日曜日に行われ、10月第1土・日曜日となっている。土曜日の宵宮祭では祝餅がつかれ、午後からは大太鼓が氏子中を巡行する。

氏子中は旧小字の五組からなり、その巡行中に花かけを頂いた家の前で、家内安全などを祈願し、大太鼓が打ち鳴らされる。

日曜日の大祭では式典が行われ、午後から奉納演芸もあり、その終了後には祝餅の振る舞いがある。

また、7月中旬の土・日曜日には境内で納涼盆踊りが行われている。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、病気平癒、縁結び
中嶋神社 東京都三鷹市中原
【関連記事】
東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧