神武神像、境内に畿内堺十処疫神祭の一つ、ナギの木とオガタマノキ
[住所]大阪府泉南市信達金熊寺795
[電話]072-483-3632

信達神社(しんだちじんじゃ)は、大阪府泉南市信達金熊寺にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

金熊寺の北隣りに鎮座。「金熊寺の梅林と信達神社」として、大阪みどりの百選に選定されている。創建年代は不詳。

社伝によると、昔、泉南樽井の海岸に初代神武天皇の神像が出現、奇瑞を表わし、里人たちが樽井の地に祀った。さらに神意を得たため、現在地に社殿を建立し、遷座したと伝わる。

古くは金熊寺大権現宮と称し、金熊寺の鎮守だった。天武天皇10年(682年)、役小角が金峯・熊野の両神を勧請し本殿に合祀、信達荘13ヶ村の産土神となった。

鎌倉時代初期、『後鳥羽院御幸記』によれば、後鳥羽上皇も熊野参詣の途上に金熊寺権現社に参拝したという。

安土桃山時代の天正年間(1572年-1592年)、織田信長、豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭い、社殿が焼失した。

江戸時代前期の正保4年(1647年)、当地の有力者で金熊寺権現宮の神主だった矢野和泉守家次により再建された。

この際の本殿が現存し、五間社流造、桁行5間・梁行2間。また、貞享4年(1687年)には岸和田藩から新田6反歩の寄進を受けた。

『泉南市史』によると、江戸時代後期の文政9年(1826年)、当社祭礼をめぐり、金熊寺観音院と神主矢野佐倉大夫との間で争論があった。

これは、当時岸和田藩内で社家・神官の間に寺院から独立しようとする機運があり、それがこの事件の背景にあったと考えられている。

明治初年の神仏分離で当社は金熊寺から独立、明治43年(1910年)に熊野九十九王子の20番目である信達王子を合祀したという。

現在までに御祭神は、神倭磐毘古命(神武天皇)・金山彦命伊邪那美命。例祭は、10月第2土・日曜日。金熊寺・牧野・馬場のやぐらが宮入する。

境内末社に疫神社(久那戸之大神)がある。『延喜式』臨時祭に「畿内堺十処疫神祭」がある。『泉州誌』には紀伊と和泉の国境の疫神祭は当地で行われたとし、その社はこの疫神社だったとしている。

なお、金比羅神社(大国主命)・市杵嶋神社(市杵嶋姫之命)が合祀されている。

御神木はナギの木で、樹高19.5メートル、幹の周り2.5メートルで府下最大の巨樹。府の天然記念物に指定されている。

割拝殿が建つ広場の東側にオガタマノキがある。樹高約18メートル、胸の高さでの幹周り約3メートル、枝張りは東西約18メートル、南北約14メートルを測る。

オガタマノキは、府内でも多くの神社に植樹されているが、当社ほどの規模のものは例がなく、現在はやはり府の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
平穏安寧、地域安全、家内安全
信達神社 大阪府泉南市信達金熊寺
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