慶長期に伊勢を勧請した神明宮、分水の苦心伝える田柄用水記念碑
[住所]東京都練馬区田柄4-27-5
[電話]-
田柄天祖神社(たがらてんそじんじゃ)は、東京都練馬区田柄にある神社。近代社格では無格社。現在は鷺宮八幡神社の兼務社で、御朱印も鷺宮八幡神社で頂ける。
口伝によれば、安土桃山時代の慶長3年(1598年)4月5日、上野伝五右衛門などが伊勢の神宮(伊勢神宮)へ参詣、その際に勧請した御分霊を邸内に奉安したという。
御祭神は天照大神。後に村民が社殿を造営し、神明ケ谷戸一円の産土神として祀り、「神明宮」「神明社」と称された。
『北豊島郡神社誌』などによれば、別当は長松山地蔵院泉蔵寺で、江戸時代後期の天保5年(1834年)には社殿が改築された。
明治元年(1868年)、神仏分離により独立し、社殿を造替した。なお、泉蔵寺はほかの三ヶ寺とともに真言宗豊山派の練月山愛染院観音寺に合併された。
明治5年(1872年)4月5日、天祖神社に改称した。戦後の昭和30年(1955年)頃より、社殿・神楽殿などの改修が進められ、昭和35年(1960年)に奉祝祭が行われた。
例祭は10月1日で、例大祭。子供による山車や神輿の巡行がある。
鳥居をくぐってすぐ右手にある碑は、田柄用水記念碑。田柄用水は明治4年(1871年)、田無用水を分水し開削されたものの、当初は流量が少なかった。
この碑は開削後20年あまりを経て、増水の請願がよくやく実ったことを記念し、明治26年(1893年)に建立された。当地における分水の苦心を伝えている。
この碑は、もとは社地東側の分水路にあったという。現在は区登録史跡になっている。ちなみに、社前を通る道は田柄用水の跡である。
境内社に、御嶽神社(櫛麻知命)、榛名神社、稲荷神社(宇迦之御魂神)がある。
他に、明治14年(1881年)建立の鳥居、明治期の水盤、昭和期の燈籠・狛犬・神社名碑がある。
その他、大正9年(1919年)の富士岳神社大々御神楽奉奏紀念碑、昭和57年(1982年)の富士登山紀念碑、平成6年(1994年)の終戦五十周年紀念碑がある。
【ご利益】
開運招福、諸願成就
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田柄天祖神社(たがらてんそじんじゃ)は、東京都練馬区田柄にある神社。近代社格では無格社。現在は鷺宮八幡神社の兼務社で、御朱印も鷺宮八幡神社で頂ける。
口伝によれば、安土桃山時代の慶長3年(1598年)4月5日、上野伝五右衛門などが伊勢の神宮(伊勢神宮)へ参詣、その際に勧請した御分霊を邸内に奉安したという。
御祭神は天照大神。後に村民が社殿を造営し、神明ケ谷戸一円の産土神として祀り、「神明宮」「神明社」と称された。
『北豊島郡神社誌』などによれば、別当は長松山地蔵院泉蔵寺で、江戸時代後期の天保5年(1834年)には社殿が改築された。
明治元年(1868年)、神仏分離により独立し、社殿を造替した。なお、泉蔵寺はほかの三ヶ寺とともに真言宗豊山派の練月山愛染院観音寺に合併された。
明治5年(1872年)4月5日、天祖神社に改称した。戦後の昭和30年(1955年)頃より、社殿・神楽殿などの改修が進められ、昭和35年(1960年)に奉祝祭が行われた。
例祭は10月1日で、例大祭。子供による山車や神輿の巡行がある。
鳥居をくぐってすぐ右手にある碑は、田柄用水記念碑。田柄用水は明治4年(1871年)、田無用水を分水し開削されたものの、当初は流量が少なかった。
この碑は開削後20年あまりを経て、増水の請願がよくやく実ったことを記念し、明治26年(1893年)に建立された。当地における分水の苦心を伝えている。
この碑は、もとは社地東側の分水路にあったという。現在は区登録史跡になっている。ちなみに、社前を通る道は田柄用水の跡である。
境内社に、御嶽神社(櫛麻知命)、榛名神社、稲荷神社(宇迦之御魂神)がある。
他に、明治14年(1881年)建立の鳥居、明治期の水盤、昭和期の燈籠・狛犬・神社名碑がある。
その他、大正9年(1919年)の富士岳神社大々御神楽奉奏紀念碑、昭和57年(1982年)の富士登山紀念碑、平成6年(1994年)の終戦五十周年紀念碑がある。
【ご利益】
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