慶長期に山城を勧請、7月24日例大祭は金魚市、シラカシなど木々
[住所]東京都練馬区田柄2-17-11
[電話]-
田柄愛宕神社(たがらあたごじんじゃ)は、東京都練馬区田柄にある神社。近代社格では無格社。現在は鷺宮八幡神社の兼務社で、御朱印も鷺宮八幡神社で頂ける。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての慶長年間(1596年-1615年)、吉田弥五衛が山城国の愛宕大明神を勧請し、創建された。
御祭神は迦具突智大神。中田柄郷の鎮守で、『新編武蔵風土記稿』上練馬村の項に「愛宕社……村民ノ持」とある。
江戸幕府より朱印地3町8反を附されたが、明治維新の際これを上地し、御神体を別当の吉田家に遷した。
社殿は、明治10年(1877年)、大正11年(1922年)にそれぞれ改築され、大正12年(1923年)には隣祠の天祖神社(天照皇大神)を合祀、現在は相殿に祀る。
昭和55年(1980年)、本殿覆殿・神楽殿が改築された。
例祭は7月24日で、例大祭。明治10年(1877年)頃から始まったといわれる金魚市が開かれる。金魚は、御祭神の御神徳である火防・農耕に関わる。
当時、農家では、当社の例大祭までに農作物の二番作に区切りをつけて参詣し、自身の厄除や家屋の火防として金魚を持ち帰ったという。
往時の例大祭は、2里四方から人を集めて賑ったという。なお、金魚放流については、農作物としての練馬大根を洗う池のボウフラ対策で金魚を放したのが由来ともされる。
現在の例大祭も、境内の神楽殿で舞や演芸が奉納され、境内には多くの露店が出て、夕方には参拝者で賑わう。
明治時代初期に開削された田柄用水を、大正期に境内へ引き込んだ池があり、金魚を放していた。
その中心に水神宮(弁財天)と市杵島神社(市杵島比売命)が祀られていたが、昭和16年(1941年)頃、用水が枯れ、池は埋められたという。
水神宮碑と市杵島神社の他、境内社に須賀神社(須佐之男命)、出世稲荷神社(宇迦之魂命)がある。
境内は広く、多くの大樹が茂り神社の森を形成している。大樹に幹回り2.5メートルのシラカシ、幹回り1.3メートルのヒイラギがあり、シラカシ・イチョウ・スダジイがある。
このシラカシは、「ねりまの名木」に指定されている。
【ご利益】
火防、厄災除け、開運招福

【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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田柄愛宕神社(たがらあたごじんじゃ)は、東京都練馬区田柄にある神社。近代社格では無格社。現在は鷺宮八幡神社の兼務社で、御朱印も鷺宮八幡神社で頂ける。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての慶長年間(1596年-1615年)、吉田弥五衛が山城国の愛宕大明神を勧請し、創建された。
御祭神は迦具突智大神。中田柄郷の鎮守で、『新編武蔵風土記稿』上練馬村の項に「愛宕社……村民ノ持」とある。
江戸幕府より朱印地3町8反を附されたが、明治維新の際これを上地し、御神体を別当の吉田家に遷した。
社殿は、明治10年(1877年)、大正11年(1922年)にそれぞれ改築され、大正12年(1923年)には隣祠の天祖神社(天照皇大神)を合祀、現在は相殿に祀る。
昭和55年(1980年)、本殿覆殿・神楽殿が改築された。
例祭は7月24日で、例大祭。明治10年(1877年)頃から始まったといわれる金魚市が開かれる。金魚は、御祭神の御神徳である火防・農耕に関わる。
当時、農家では、当社の例大祭までに農作物の二番作に区切りをつけて参詣し、自身の厄除や家屋の火防として金魚を持ち帰ったという。
往時の例大祭は、2里四方から人を集めて賑ったという。なお、金魚放流については、農作物としての練馬大根を洗う池のボウフラ対策で金魚を放したのが由来ともされる。
現在の例大祭も、境内の神楽殿で舞や演芸が奉納され、境内には多くの露店が出て、夕方には参拝者で賑わう。
明治時代初期に開削された田柄用水を、大正期に境内へ引き込んだ池があり、金魚を放していた。
その中心に水神宮(弁財天)と市杵島神社(市杵島比売命)が祀られていたが、昭和16年(1941年)頃、用水が枯れ、池は埋められたという。
水神宮碑と市杵島神社の他、境内社に須賀神社(須佐之男命)、出世稲荷神社(宇迦之魂命)がある。
境内は広く、多くの大樹が茂り神社の森を形成している。大樹に幹回り2.5メートルのシラカシ、幹回り1.3メートルのヒイラギがあり、シラカシ・イチョウ・スダジイがある。
このシラカシは、「ねりまの名木」に指定されている。
【ご利益】
火防、厄災除け、開運招福

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