仁淀川沿い鎮座、異様に捻じ曲がった巨木、明治に式内認定
天石門別安国玉主天神社 高知県高岡郡越知町黒瀬1566
[住所]高知県高岡郡越知町黒瀬1566
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天石門別安国玉主天神社(あまのいはとわけやすくたまぬしあまつかみやしろ)は、高知県高岡郡越知町黒瀬にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 吾川郡「天石門別安國玉主天神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

「天岩戸大明神」とも称され、地元では「戸別様(とわけさま)」と通称されている。当社背後に聳えている大きな岩山が御神体だという。

仁淀川に面して鎮座し、境内から河原へ降りる道もある。境内は狭いが、立派な樹木が茂り、異様な雰囲気がある。異様に捻じ曲がった巨木が印象的。

創祀・創建年代は不詳。江戸時代の元禄5年(1692年)、当社の下流域にあたる神谷村で式内社「天石門別安國玉主天神社」を示すとされた棟札が発見された。

以来、式内社「天石門別安國玉主天神社」は神谷の同名神社が有力視された。

しかし、明治3年(1870年)に式内比定の詮議があり、神谷の同名神社は除外されて新宮とされ、当社が式内認定されて本宮とされた。

先述の棟札は当社から神谷に流れ着いたものとも、戦国時代、当地領主の勝賀瀬氏が長宗我部元親に攻められ、逃亡の際、隠したものともされた。

神谷の同名神社が村社に列したのに対して、当社は式内社として、郷社に列した。当社の御祭神は天手力男命大日靈神を合祭しているとも。

戦前までは、近郷近在に聞こえた有名な神社で、祭礼当日には大勢の老若男女の人出があったという。

出店も所狭しと並び、若い人たちの出会いの場としての賑やかさもあったという。

昭和50年(1975年)8月、台風5号による洪水で、当社も大被害を受け、幣殿・拝殿とともに多くの貴重な絵馬や扁額などが流出した。

本殿はかろうじて難を免れ、以前の趣を今に伝えている。「天石門別安国玉主天神社本殿一宇」として、町の文化財に指定されている。

【ご利益】
地域安全、家内安全、技芸・スポーツ上達
天石門別安国玉主天神社 高知県高岡郡越知町黒瀬
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