式内二社が相殿、阿支奈臣と坂本臣の祖神は父子神、神武東征古地?
多気坂本神社 高知県安芸郡奈半利町乙2586
[住所]高知県安芸郡奈半利町乙2586
[電話]0887-38-4700

多気坂本神社(だけさかもとじんじゃ)は、高知県安芸郡奈半利町乙にある神社。多気神社・坂本神社とも、多気・坂本神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 安芸郡「多氣神社」「坂本神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

中里の集落内辺り、一帯が多気ケ丘公園になっているところに鳥居があるが、これは御旅所。さらに奥へ進むと森の中に境内がある。

境内には多気神社と坂本神社の、二社相殿の社殿がある。もともと別の神社だったが、いつ合併されたのかは不詳。遅くとも江戸時代初期には今の状態だったという。

慶長9年(1604年)4月の棟札に「嶽大明神坂本大明神」とある。

両社とも創祀・創建年代は不詳。沿革もよく分からない。奈半利(なはり)は、『万葉集』巻3 354の日置少老の下記の歌に詠われていることから、相当古くから拓けた地域か。
繩の浦に 塩焼くけぶり 夕されば 行き過ぎかねて 山にたなびく
また、『土佐日記』にも、下記のように記載されている。
九日のつとめて、大湊よりなわのとまりを追はむとてこぎいでけり
『土佐国式社考』では、多気神社は阿支奈臣の祖神として武内宿禰を祀り、坂本神社は布師臣・坂本臣の祖として葛城襲津彦命を祀るとしている。

現在もこれを踏襲しているようで、この説であれば、御祭神は父子となり、古くから両社は関係が深かった、とも考えられる。

平安時代の貞観8年(866年)5月22日には、土佐国坂本神として従五位下に叙された。

多気神社は昔、嶽明神とも呼ばれ、周辺の山頂にあったものか。あるいは、『古事記』における土佐の別名、建依別を意味する可能性もあるという。

ただ、現在地はもとの多気神社の地で、坂本神社が現在地の南方600メートルほどのところに鎮座、いずれかの時期に、多気神社の地に遷座した、とも。

『古事記』の初代神武天皇の東征の通過地である阿岐国多祁理の宮は、広島の安芸ではなく、高知の安芸で、多祁理の宮は、この多気神社近辺、という説もあるという。

ちなみに、多祁理の宮の跡とされるのが、安芸の多家神社

当社の例祭は10月25日。秋祭りとして、各種イベントなどが行われる。

境内末社に壱岐神社(壱岐直根子命)があり、相殿に多賀社がある。近郷の伊勢講の拠点だったといい、伊勢の神宮(伊勢神宮)式年遷宮にあわせて葺替する。

なお、式内社「坂本神社」に関しては、他に、芸西村和食(馬ノ上)の王子宮が参考社として挙げられることがある。

【ご利益】
健康長寿、武運長久・勝運、事業成功、出世開運
多気坂本神社 高知県安芸郡奈半利町乙
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