主木3本の大樹による社叢、苔むした石段が幻想的、南国市2社に分祀
[住所]高知県土佐清水市下ノ加江3135
[電話]-
伊豆田神社(いづたじんじゃ/いつたじんじゃ)は、高知県土佐清水市下ノ加江にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 幡多郡「伊豆多神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では無格社。
市野瀬部落の北西2キロの高知山にある。前面が鳴川谷となっているため、大部分は急傾斜の社叢をなしている。市の天然記念物に指定されている。
この社叢には、樹高38メートルと樹高30メートルのイチイガシが2本と、樹高20メートルのナギの大樹があり、主木とされている。
3本ともに現在も発育旺盛で、他の雑木とともに境内を覆い、社叢内は昼なお暗く、樹下にはオオカグマ・オオバノコギリソウ・クリハランなどが繁生している。
当社の創祀・創建年代は不詳。御祭神は、伊豆那津彦命(いずなつひこのみこと)・伊豆那津姫命(いずなつひめのみこと)。玉石2枚が御神体だという。
御祭神は当社固有か。幡多郡では黒潮町入野の加茂神社、宿毛市平田の高知坐神社、とともに幡多三古社の一つ。
「伊豆多」は「出湯田(いでゆた)」、水の湧き出る場所という意味だという。当然、伊豆国との兼ね合いも考えられるが、あまり論じられることもない。
伊豆国賀茂郡の式内社に伊古奈比咩命神社がある。その御祭神の三島大神は、『三宅記』によれば、箱根の湖辺に住む老翁媼の女3人を大蛇(龍神)から救い、3人を后として三宅島に迎えた。
南国市に二社、前浜と田村に伊都多神社(いづたじんじゃ)があり主祭神は伊豆那姫命で、いずれも当社からの勧請で、旧郷社。
当社を含むこの三社が三姉妹、三島大神の3人の妃に対応している、とする説もある。
幡多三古社の中で、当社は唯一賀茂氏との関わりが見いだせないが、この観点からは、伊豆那津彦命は三島大神で、それと同体とされるのは土佐神社御祭神、とつながる、とも。
中世以降、当社は伊津多大明神、伊都多大明神と呼ばれていた。もとは坂本川の高知山に鎮座していたとも。安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、現在地に遷座した。
江戸時代中期の宝永4年(1707年)、社殿が流失し、幕末にも火災で焼失したともいう。この火災で、棟札などの記録が消滅、御神体は氏子らによって何とか救い出された。
明治元年(1868年)、現社号に復称、無格社となったが、村民が不服として県社昇格を願い出たという。しかし叶わなかった。
式内社が無格社というのは極めて珍しい。また、式内社であるため、いきなり県社というのもないわけではないが、無格社からの昇格運動として、三階級昇進となり、もとよりハードルは高い。
当社分祀の南国市の二社が早々に郷社に指定されていたため、当社が昇格運動をする際、その下の村社はあり得ず、同等となる郷社も本社としての矜持が許さず、その先を考えたものか。
境内社に三島社があり、白皇神社(大己貴命)を合祀している。社殿内に、神棚のような形で祀られている。
鳥居を抜けると、木々の鬱蒼とした林の中に参道があり、小川にかかった石橋から、傾斜の急な石段の上に拝殿がある。
苔むした石段は、遠めには非常に幻想的だが、斜めになっており、非常に狭く、参拝時には注意が必要。ただし、全体的に管理は行き届いている。
【ご利益】
地域安全、家内安全、リフレッシュ

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伊豆田神社(いづたじんじゃ/いつたじんじゃ)は、高知県土佐清水市下ノ加江にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 幡多郡「伊豆多神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では無格社。
市野瀬部落の北西2キロの高知山にある。前面が鳴川谷となっているため、大部分は急傾斜の社叢をなしている。市の天然記念物に指定されている。
この社叢には、樹高38メートルと樹高30メートルのイチイガシが2本と、樹高20メートルのナギの大樹があり、主木とされている。
3本ともに現在も発育旺盛で、他の雑木とともに境内を覆い、社叢内は昼なお暗く、樹下にはオオカグマ・オオバノコギリソウ・クリハランなどが繁生している。
当社の創祀・創建年代は不詳。御祭神は、伊豆那津彦命(いずなつひこのみこと)・伊豆那津姫命(いずなつひめのみこと)。玉石2枚が御神体だという。
御祭神は当社固有か。幡多郡では黒潮町入野の加茂神社、宿毛市平田の高知坐神社、とともに幡多三古社の一つ。
「伊豆多」は「出湯田(いでゆた)」、水の湧き出る場所という意味だという。当然、伊豆国との兼ね合いも考えられるが、あまり論じられることもない。
伊豆国賀茂郡の式内社に伊古奈比咩命神社がある。その御祭神の三島大神は、『三宅記』によれば、箱根の湖辺に住む老翁媼の女3人を大蛇(龍神)から救い、3人を后として三宅島に迎えた。
南国市に二社、前浜と田村に伊都多神社(いづたじんじゃ)があり主祭神は伊豆那姫命で、いずれも当社からの勧請で、旧郷社。
当社を含むこの三社が三姉妹、三島大神の3人の妃に対応している、とする説もある。
幡多三古社の中で、当社は唯一賀茂氏との関わりが見いだせないが、この観点からは、伊豆那津彦命は三島大神で、それと同体とされるのは土佐神社御祭神、とつながる、とも。
中世以降、当社は伊津多大明神、伊都多大明神と呼ばれていた。もとは坂本川の高知山に鎮座していたとも。安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、現在地に遷座した。
江戸時代中期の宝永4年(1707年)、社殿が流失し、幕末にも火災で焼失したともいう。この火災で、棟札などの記録が消滅、御神体は氏子らによって何とか救い出された。
明治元年(1868年)、現社号に復称、無格社となったが、村民が不服として県社昇格を願い出たという。しかし叶わなかった。
式内社が無格社というのは極めて珍しい。また、式内社であるため、いきなり県社というのもないわけではないが、無格社からの昇格運動として、三階級昇進となり、もとよりハードルは高い。
当社分祀の南国市の二社が早々に郷社に指定されていたため、当社が昇格運動をする際、その下の村社はあり得ず、同等となる郷社も本社としての矜持が許さず、その先を考えたものか。
境内社に三島社があり、白皇神社(大己貴命)を合祀している。社殿内に、神棚のような形で祀られている。
鳥居を抜けると、木々の鬱蒼とした林の中に参道があり、小川にかかった石橋から、傾斜の急な石段の上に拝殿がある。
苔むした石段は、遠めには非常に幻想的だが、斜めになっており、非常に狭く、参拝時には注意が必要。ただし、全体的に管理は行き届いている。
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