曾我山古墳、波多国造ゆかりの古社、精緻な彫刻の本殿、神奈備山
高知坐神社 高知県宿毛市平田町戸内4233
[住所]高知県宿毛市平田町戸内4233
[電話]0880-66-0834

高知坐神社(たかちにますじんじゃ)は、高知県宿毛市平田町戸内にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 幡多郡「高知坐神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

高さは50メートルほどの小さな山だが、周囲は河口の平地で、遠目にもよく目立つ、こんもりとした神奈備山である高知山に鎮座。

高知市一宮の土佐神社朝倉神社、南国市の朝峯神社とともに、往古の神奈備の森を伝えているともされる。

社伝によれば、第10代崇神天皇の御代、波多国造天韓襲命が当地に着任した頃の創祀だという。

当社境内より、多くの石器・須恵器・土師器が検出され、いずれも大和朝より平安時代初期に至る年代を示している。

また、当社西方500メートルほどの地、今日姿を失った曾我山古墳の主は、波多国造とも考証されており、当社と深いつながりがあるという。

現在も本殿の下には磐坐があり、太鼓の御神体を保存しているという。幡多郡では黒潮町入野の加茂神社、土佐清水市下ノ加江の伊豆田神社とともに幡多三古社の一つ。

社名の「高知」は「たかち」と読み、『式内社調査報告』では、川が巡る地として、地形からの呼称と指摘している。

しかし、当社は大和国高市郡鎮座の高市御縣坐鴨事代主神社と同神であり、高市郡には、当郡の名である幡多と同じ、波多神社などもあり、関連も指摘されている。

高知は、土佐神社をはじめ、鴨系氏族と関連の強い古社が多いことで知られる。当社の御祭神は都味歯八重事代主神。右殿に大国主尊、左殿に素盞嗚尊を祀る。

平安時代初めには社領21町歩と記録され、鎌倉時代前期の元久2年(1205年)には社殿が修理されたという。

中世以降は、高持者大明神、高持者社、高地之大明神などとも称された。

本殿は桁行2間、梁間2間の三間社流造りで、内陣と外陣に分かれている。詳細な建立年は不詳だが、象鼻、蟇股などの彫刻は江戸時代初期の制作と考えられている。

豪華絢爛を極めた桃山時代の彫刻のおもかげを今に残しており、県の有形文化財に指定されている。

本殿は3間四面の覆屋の中に納められ、外部からはガラス越しに見られるだけで内部を詳細に見ることはできない。

この本殿は、明治42年(1909年)11月と昭和12年(1937年)11月にも修復されたが、老朽化や白蟻の被害も多く、昭和52年(1977年)10月23日に、本殿・幣殿が修復された。

例祭は旧暦9月22日で、秋季古式大祭。

境内社に、聖・皇太子・曽我・天満他の合殿社や、柴折・仁井田・大船・飛龍・覃鳥の合殿社がある。昭和26年(1951年)から近隣の神社を合祀したことによる。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、商売繁盛、厄災除け、病気平癒
高知坐神社 高知県宿毛市平田町戸内
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