土佐神社と同様、当地を支配した賀茂氏の関連社、10月に子ども神輿
殖田神社 高知県南国市植田1267
[住所]高知県南国市植田1267
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殖田神社(うえたじんじゃ)は、高知県南国市植田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 長岡郡「殖田神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。社殿には、長らく呼ばれていた「高賀茂大明神」の扁額があり、御祭神は土佐神社と同じ、高鴨神で、阿遅鋤高日子根神

『続日本紀』神護景雲2年(768年)11月18日条に、「土左國土左郡人神依田公名代等卅一人賜二姓賀茂一」とある。

同年同月26日条に、「従五位上賀茂朝臣諸雄、従五位下賀茂朝臣田守、従五位下賀茂朝臣萱草賜二姓高賀茂朝臣一」ともある。

これらを踏まえ、谷秦山は『土佐國式社考』で、殖田と大田との近似から、大田田禰古との関係を指摘、賀茂氏が殖田に味鈻高日子根命を奉斎した、と説を展開する。

当地は『和名類聚抄』長岡郡条に見える植田郷の中心地で、加茂氏(賀茂氏)が居住していたと考えられ、当社もこの穀倉地帯を支配した賀茂氏の関連社である。

『日本三代実録』貞観8年(866年)5月22日条に、「授二土左國従五位下殖田神従五位上、正六位上殖田上神(中略)並従五位下一」とある。

このうち、当社は殖田神に相当するとされ、殖田上神について、谷秦山は背後の山中の若宮社に比定される。

中世では山田氏や長宗我部氏の支配地で、 『長宗我部地検帳』によれば、長宗我部一族の比江山掃部助親興の給地が多く、土居の注記も見え、比江山氏の崇敬を受けた。

延宝3年(1675年)11月、貞享元年(1684年)9月、元緑7年(1694年)11月、元禄14年(1701年)12月、寛保3年(1743年)3月に造営の記録が残る。

江戸時代後期の弘化4年(1847年)には山内豊矩が額を奉納した。明治元年(1868年)、現社号に復称し、明治5年(1872年)には郷社に列した。

平成19年(2007年)、本殿、弊殿・拝殿一棟造りで改修を始め、拝殿の前に向拝場所を造り、本殿のみ銅板葺で、弊殿・拝殿・向拝場所は瓦葺とした。

例祭は10月31日で、例大祭。久礼田小学校の上級生の女生徒4人による「浦安の舞」の奉納があり、その後、獅子舞などを先頭に、子ども神輿が植田地区を練り歩く。

参道がかなり長く、そこに並ぶ多くの燈籠も、まだ新しい。社叢も茂り、境内には屋根付きの土俵や、安政4年(1857年)建立の狛犬がある。境内には多くの境内社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、身体壮健、一族・子孫繁栄
殖田神社 高知県南国市植田字東野
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