もとは土佐神社の御子神・土佐国造の系列、昭和に葛木咩神社を合祀
葛木男神社 高知県高知市布師田1358
[住所]高知県高知市布師田1358
[電話]088-845-1381

葛木男神社(かつらきおじんじゃ/かずらきのおじんじゃ)は、高知県高知市布師田にある神社。御朱印の有無は不明で、授与していないとも。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 土佐郡「葛木男神社」に比定される式内社(小社)。また、式内社「葛木咩神社」を合祀している。近代社格では郷社。

創祀・創建は不詳。伝承では、当社と葛木咩神社はもとは現社地の南東方、現在の字下附の集落南方において、同じ境内に鎮座したという。

その後、葛木咩神社は東南方に移り、当社も国分川の増水を避け、北西方の現在地に移ったという。

なお『土佐国風土記』逸文では、土左高賀茂大社(土佐神社)の東4里(約2キロ)に土佐郡家があったというが、その地は旧鎮座地の字下附付近と推測される。

それによれば、土佐郡の郡家内には土左大神の御子神の天河命(あまのかわのみこと)を祀る社が、郡家南の道には天河命の娘神の浄川媛命(きよかわひめのみこと)を祀る社があったという。

この天河命・浄川媛命は他文献に記載のない神々であるが、両神を葛木男神・葛木咩神に比定する説がある。

土佐郡家は、古くから存在した天河命の社を取り込む形で成立したと見られており、この一帯が土佐郡成立以前の豪族の都佐国造(土佐国造)の中心地だった可能性がある。

この都佐国造は大和葛城地方の賀茂氏に連なる系譜といわれ、当社の社名「葛木」とも関連を有している。

その後の変遷は不詳で、『長宗我部地検帳』に記載がないため荒廃したと見られている。

『南路志』によると、近世の当社には、社地18代・田地1反22代があって南方に所在する西山寺が別当寺を務め、葛木咩神社には社地34代・田地10代があったという。

近世、当社は「高結大明神社」「高結大明神宮」「高魂大明神宮」「高結社」などと称していた。

明治元年(1868年)、現社名に復称し、明治5年(1872年)には当社が郷社に、葛木咩神社が村社に列した。

昭和47年(1972年)には当社が葛木咩神社を合祀した。当社から東南の岡豊高校付近が葛木咩神社の旧地となる。

現在までに、御神体は鏡とされ、御祭神は、高皇産霊神・葛木男大神・葛木咩大神。葛木男大神は葛城襲津彦命のことで、葛木咩大神は葛城襲津彦妃命とされる。

『新撰姓氏録』において、布師臣(布師氏)を葛城襲津彦の後裔としている。この布師氏が当地に居住し、祖神として葛城襲津彦を祀ったので「布師田」の地名が起こった。

また、『新撰姓氏録』では、葛木直・葛木忌寸を高魂命(高御魂命/高皇産霊命)の後裔とする。その場合、奉斎氏族は、葛木氏(葛城氏)、忌部氏という二説がある。

例祭は11月17日とも、11月5日とも。参道左には稲荷社が祀られ、磐船のような大岩も安置されている。瑞子供養霊碑や御神木の大スギもある。

現在地は、国分川堤防沿いで、道路が東西に走っており、葛木橋の少し東に境内の入口がある。北側には高知刑務所が広がっている。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、学業・受験合格、武運長久・勝運
葛木男神社 高知県高知市布師田
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