土佐の穀倉地帯、当地開拓で農業神を奉斎、小野神社との関係も
豊岡上天神社 高知県南国市岡豊町常通寺島618
[住所]高知県南国市岡豊町常通寺島618
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豊岡上天神社(とよおかかみてんじんじゃ/とよおかかみてんじんしゃ)は、高知県南国市岡豊町常通寺島にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 長岡郡「豊岡上天神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

岡豊城のある岡豊山の西南麓に鎮座する。土佐の穀倉地帯である香長平野の中心部に位置する。

すぐ北には、舟岩・大平山・小蓮などの古墳が多く、南方にも明見・高間原・高天原をはじめ多くの古墳群があり、東には国府・国分寺が、西には小野神社土佐神社などの式内社が存在している。

当社の創建年代は不詳。当地の開拓にあたり農業神の豊宇気姫命(豊受姫命)を奉斎したことに始まるといわれている。

御祭神は屋船豊宇気姫命。『土佐国式社考』では、社名「豊岡」と神名「豊宇気姫(豊宇賀能売)」の関連が指摘されている。

もともとは岡豊山の山上にあったが、岡豊城築城にあたり移されたとも伝わる。

社名の「豊岡」に関して、『土佐物語』では地名「岡豊」の古称としている。あるいは、長岡郡の豊かな岡を意味するとする説もある。

さらに、土佐国府に近いため「お国府(こふ)」に由来するとする説などもある。また、「天神」の由来についても諸説あり、不詳。

その後、岡豊城を拠点とした長宗我部氏の崇敬を受けたものと推測されるが、史料がなく明らかではない。

一方で、小野神社には豊岡神社の合祀や、豊岡大明神と称された時期に関する伝承が残る。

そのため、当社と小野神社の間に争いが起きたとも、あるいは、この豊岡神社や豊岡大明神こそ、当社であるとの説もある。

そうであれば、中世から近世にかけての一時期、当社は小野神社の境内に遷座していた可能性がある。ただし、江戸時代中期からは下記のように現在地でのアリバイがある。

江戸時代中期の延享5年(1748年)6月に社殿が造営された。江戸時代後期の弘化4年(1847年)、山内豊矩から額が寄進された。明治5年(1872年)、郷社に列した。

例祭は9月18日で、秋季大祭。7月20日には夏祭りがある。

境内社に若宮神社がある。若宮神社は小野神社の境内にもあり、小野神社境内の若宮神社は豊岡神社の末社であるとの説もある。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、家内安全
豊岡上天神社 高知県南国市岡豊町常通寺島
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