小野古城大明神、「門丸様」豊岡大明神、平井善之丞の邸
小野神社 高知県南国市岡豊町小蓮字宮ノ前1189
[住所]高知県南国市岡豊町小蓮1189
[電話]-

小野神社(おのじんじゃ)は、高知県南国市岡豊町小蓮にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 長岡郡「小野神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

高知大学医学部の300メートルほど北に位置する小山上にあり、麓から続く110段の石段を登って、頂上に社殿がある。

創建は不詳。伝承では、当地に来住した小野氏一族がその祖先神を祀ったことに始まるという。

ただし、社名の「小野」は小野氏ではなく、地名より生じたものとする説もある。なお、当社周辺には小蓮古墳を始めとする多くの古墳が分布する。

御祭神は、小野氏祖神である天足彦国押人命

中世には現鎮座地の丘陵に小野城が築かれ、長宗我部元親の二男である香川親和が香川家衰退に伴って帰国した際には、その小野古城が与えられたと伝わる。

そのため、小野古城大明神とも呼ばれた。当時築かれた曲輪や土塁の跡も、現在に至るまで残されている。

また、『南路志』などの中世・近世史料では、境内合祭の豊岡大明神と混同して、「豊岡大明神」とする記載も見られる。

豊岡神社がいつ合祀されたのかは不明だが、当社と豊岡神社が並立に建てられていた時期があり、当時、豊岡神社の方が有名で、当社を「若宮」と記したものもあるという。

合祀された豊岡神社は、「門丸様」と呼ばれ、「門丸様の石」というものがあり、浄水をかけて雨乞いすると必ず降雨するという伝承がある。

しかし、祈雨の年には必ず変事が起るため、この神事は廃止されたという。

豊岡大明神として、社領8反48代4歩があったが、長宗我部時代に取り上げられたと伝えられている。

また、山内藩政時代には、御山方の支配を受け、棟札に寛文4年(1664年)3月、元緑15年(1702年)9月、元文3年(1738年)11月のものがあり、やはり豊岡大明神とある。

豊岡大明神は豊岡上天神とも呼ばれたようで、これにより、同じく式内社の豊岡上天神社との間に争いも生じたといわれている。

あるいは、この豊岡大明神は、実は豊岡上天神社そのもので、いずれかの時期に、豊岡上天神社が当社境内に遷座していたことがあった、とも。

ともかく、幕末に土佐藩の重臣として活躍し、人々から「小野の聖人」と呼ばれた平井善之丞は、石段を少し登った場所に邸を構えていたという。

明治5年(1872年)、村社に列した。明治になり、いずれかの時期に、現社号に復したのだろう。例祭は8月7日。もとは7月9日と10月7日だったという。

当社を中心とした地域は旧小野村で、その東に蓮如寺村があった。この2ヶ村が合併した時に、頭文字をとって小蓮村が誕生し、現在もこの小蓮が地名として残る。

境内社に、若宮神社・佐波為神社がある。この若宮神社が、当社が「若宮」と呼ばれていたことと関係があるかどうかは不明。

また、この若宮神社は、当社に合祀された豊岡神社の末社だという説がある。さらに、佐波為神社には野槌神社が合祀されている。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、地域安全、家内安全
小野神社 高知県南国市岡豊町小蓮字宮ノ前
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