「日本一社延喜式社」東西に分かれた洞窟、広がる石土池
[住所]高知県南国市十市4327
[電話]-
石土神社(いはつちじんじゃ)は、高知県南国市十市にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 長岡郡「石土神社」に比定される式内社(小社)。社頭には、「日本一社延喜式社」の看板がある。
創祀・創建年代は不詳。『続日本後紀』承和8年(841年)、「土佐美良布神社、石土神社を官社にする」と記載されている。
東には、石土池が静かに広がり、後方は峨峨たるカルストが続いている。また、巌の下には石灰洞があり、鍾乳石や石筍が入洞をこばみ、奥を極めたものはいないという。
昔、峰寺に名犬があり、「八葉山手飼」という木札を首輪につけていた。ある時この犬が兎を追いだした。
逃げ場を失った兎は、とうとうこの洞窟に入った。7日の後、伊予の吉田の石灰洞で2匹が死体となって横たわっていたという。
洞窟は東西に分かれ、東の穴を男蛇(雄蛇・白蛇)の穴、西の穴を毒蛇の穴という。東の穴では雨乞いが行われていた。
また、当社側の石土池は、讃岐の萬緒池に、洞窟は大原野、萩原寺地蔵院に通じているとされた。
当社の御祭神は、石土神・赤土神・底土神だという。石土神は磐土命とも。いずれも住吉三神と同体とされる。ただし、境内案内板には石土毘古命とある。
古来、伊予の石鎚神社(石槌神社)を奥の院に、当社を前の宮と呼んでいるという。さらに、境内案内板には、当社から石鎚神社に勧請したような記載もある。
戦国時代の兵乱で、当社も荒廃。江戸時代も中期となった元禄8年(1695年)4月7日に再興された。「石土大明神」「岩土大明神」などとも呼ばれた。
元禄16年(1703年)、山内豊房が参詣して鳥居を建立、江戸時代後期の弘化4年(1847年)には山内豊矩が額を奉納した。山内藩主家からの崇敬が篤かった。
理由は不明だが、明治初年(1868年)から大正末期(1926年)まで廃れていたらしく、近代社格も資料からは見当たらない。
その際、再興したのが竹内丑太郎で、横田早馬たちの努力により今日の隆盛をみるに至っている、と境内案内板にある。
本殿は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)から下賜された料材によって建築されているという。
例祭は7月1-10日でお山開き大祭。年に一度、御神像が公開されるという。県内最大の「柴燈大護摩」祈願祭と銘打たれ、大々的に行われていた。
しかし、現在は一般の参拝客はほとんどいないという。御神像は、石鎚大神3体で、全高約30センチ、全体的に丸みを帯びており、ふっくらしているという。
境内社に、蔵王権現が祀られている。また、幕末の文久3年(1863年)5月に奉納された、ずんぐりとした力強い狛犬が安置されている。
【ご利益】
身体壮健、祈雨・天候、交通安全、地域安全
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『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 土佐国 長岡郡「石土神社」に比定される式内社(小社)。社頭には、「日本一社延喜式社」の看板がある。
創祀・創建年代は不詳。『続日本後紀』承和8年(841年)、「土佐美良布神社、石土神社を官社にする」と記載されている。
東には、石土池が静かに広がり、後方は峨峨たるカルストが続いている。また、巌の下には石灰洞があり、鍾乳石や石筍が入洞をこばみ、奥を極めたものはいないという。
昔、峰寺に名犬があり、「八葉山手飼」という木札を首輪につけていた。ある時この犬が兎を追いだした。
逃げ場を失った兎は、とうとうこの洞窟に入った。7日の後、伊予の吉田の石灰洞で2匹が死体となって横たわっていたという。
洞窟は東西に分かれ、東の穴を男蛇(雄蛇・白蛇)の穴、西の穴を毒蛇の穴という。東の穴では雨乞いが行われていた。
また、当社側の石土池は、讃岐の萬緒池に、洞窟は大原野、萩原寺地蔵院に通じているとされた。
当社の御祭神は、石土神・赤土神・底土神だという。石土神は磐土命とも。いずれも住吉三神と同体とされる。ただし、境内案内板には石土毘古命とある。
古来、伊予の石鎚神社(石槌神社)を奥の院に、当社を前の宮と呼んでいるという。さらに、境内案内板には、当社から石鎚神社に勧請したような記載もある。
戦国時代の兵乱で、当社も荒廃。江戸時代も中期となった元禄8年(1695年)4月7日に再興された。「石土大明神」「岩土大明神」などとも呼ばれた。
元禄16年(1703年)、山内豊房が参詣して鳥居を建立、江戸時代後期の弘化4年(1847年)には山内豊矩が額を奉納した。山内藩主家からの崇敬が篤かった。
理由は不明だが、明治初年(1868年)から大正末期(1926年)まで廃れていたらしく、近代社格も資料からは見当たらない。
その際、再興したのが竹内丑太郎で、横田早馬たちの努力により今日の隆盛をみるに至っている、と境内案内板にある。
本殿は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)から下賜された料材によって建築されているという。
例祭は7月1-10日でお山開き大祭。年に一度、御神像が公開されるという。県内最大の「柴燈大護摩」祈願祭と銘打たれ、大々的に行われていた。
しかし、現在は一般の参拝客はほとんどいないという。御神像は、石鎚大神3体で、全高約30センチ、全体的に丸みを帯びており、ふっくらしているという。
境内社に、蔵王権現が祀られている。また、幕末の文久3年(1863年)5月に奉納された、ずんぐりとした力強い狛犬が安置されている。
【ご利益】
身体壮健、祈雨・天候、交通安全、地域安全
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