古代の製鉄氏族菅田首の同族が奉斎、後に住吉、日吉を合祀・分祀
菅田神社 兵庫県小野市菅田町568
[住所]兵庫県小野市菅田町568
[電話]0794-67-1004 - 垣田神社

菅田神社(すがたじんじゃ)は、兵庫県小野市菅田町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「菅田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

源を遠く北摂の山地に発する東条川は『播磨国風土記』にも椅鹿川と記載され、西流して加古川の本流に到る。

その流域には後期古墳の群集が多く、この川に面して鎮座する当社の周辺も例外ではない。

当社は、大和国添下郡と近江国蒲生郡に所在する同名神社と同じく、古代の製鉄氏族菅田首の同族が、その祖神と仰ぐ天久斯麻比企都命(天目一箇命)を奉斎したものと考えられている。

加古川の上流域は古代から砂鉄の産地であり、製鉄・鍛冶関係の遺跡や地名も多く、天目一神社荒田神社青玉神社など天目一箇命を祀る古社が点在する。

当社ははじめ、菅田字南垣内にあったと伝えられ、その旧地をいまも宮山と呼ぶ。近年、農業用水路をつくるため宮山の一部を掘ったところ、多数の瓦片・土器が出土した。

その際、平安時代後期の延久2年(1070)に造営の記録が残る。後年、氏子の増加に伴う居住地の拡散とともに、保安年間(1120年-1124年)に社地を現在地に移した。

別に東条川北方の中番へ御分霊して住吉神社をつくり、さらに大治元年(1126年)に、西方の久保木へも住吉神社として分祀した。

なお、中番への分祀は、同年霜月25日に行われ、いま菅田橋の橋脚を支えている巨大な「亀石」の上で、御分霊と御神宝が引き渡されたと伝えられる。

村人たちは今もこの岩を、「神体岩」と呼んでいる。

当社の御祭神は、天久斯麻比企都を主神として、底筒男命中筒男命表筒男命住吉三神と、息長脚姫命を合祀する。

一方で、当社は式内社「菅田神社」の御分霊ともされている。また、往古に住吉三神を合祀したために、住吉神社とも呼ばれたという。

後には日吉神社を合祀したために、山王権現とも呼ばれた。現在までに大山咋神を配祀するとも。

江戸時代前期の万治3年(1660年)、社殿が再建された。明治になり、現社号に改称し、明治7年(1874年)、村社に列した。例祭は、10月8日。

式内社「菅田神社」の論社は他に、小野市中番町の住吉神社八坂神社、加東市厚利の山王神社がある。

このうち、住吉神社と八坂神社に関して、保安年間の現在地への遷座という、当社と同じ由緒を共有している。

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菅田神社 兵庫県小野市菅田町
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