円満寺村の氏神から田辺城の守護神へ、マムシ除けの神砂
[住所]京都府舞鶴市南田辺8
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鸕鷀神社(うのもりじんじゃ)は、京都府舞鶴市南田辺にある神社。難字のため、うのもり神社、うの森神社とも表記され、地元では「うの森さん」と親しまれている。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。もともとは当地周辺の円満寺村の氏神だった。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1592年)、細川氏が田辺城を築城した際、円満寺村の村民が4軒だけ残して喜多村(きたむら)に移住させられた。

それ以降、城内の二の丸に奉斎され、城の守護神になった。しかし、祭日には円満寺村の村民達は城内に入ることが許されていたという。

境内には今でも田辺城の石垣が残されている。築城期の、自然の石を積んだ「野面(のづら)積」で、博打岬の花崗岩を切り出した石ともされる。

明治になってからか、場内からの移転の動きがあったが、財政難で中断、さらに浄財を集めてようやく完成したのが現在の神域。

現在の社殿は大正元年(1912年)10月に竣工したもの。屋根はカヤ、随所に銅板が用いられている。

御祭神は鸕鷀草葺不合尊。初代神武天皇の父にあたるが、当社の説明では、明治になってから改められたものだともいう。社名からの連想か。

境内には、蝮(マムシ)除けの御砂があり、持ち帰ることができる。

昔、この辺りに藁葺き商として暮していた男がおり、ある時、道を歩いていたら足元に蛇が巻きついていきた。

蛇が離れようとしないので、そのまま当社まで歩いた。ヘビは強い毒性のあるマムシだったが、男は当社の白い砂をマムシにかけた。

すると、マムシは男の足から離れ、当社の神域から逃げて行ったという。現在も、農作業を行う人が砂を取りにくることがあるという。

祭礼は春まつりと秋の2回。7日前の幟立て、前日清掃などは地区の振興会が管理している。酉年の正月には、初詣客も多くなるという。

【ご利益】
蝮除け、地域安全、家内安全、五穀豊穣
鸕鷀神社 京都府舞鶴市南田辺
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