日吉大社勧請の五社宮、江戸期に社殿整備、頼山陽の詞
[住所]兵庫県加古川市野口町野口327
[電話]079-422-4352
野口神社(のぐちじんじゃ)は、兵庫県加古川市野口町野口にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
播磨は古く中央政権への「文化の通り道」としての役割があり、国家建設に貢献した渡来人たちが往来した。
仏教伝来の流れの中で、寺院が建てられ、古代寺院として奈良時代(710年-794年)、現社地近くに寺院が建立された。今は野口廃寺と呼ばれる。
当社の創祀・創建年代は不詳。比叡山延暦寺の守護神日吉大社を勧請した。御祭神は、大山咋命(日吉大神)。
また、品陀別命(八幡大神)・須佐之男命(八坂大神)・速玉男命(熊野大神)・天伊佐々比古命(日岡大神)を併せて祀った。
日岡大神と関連して、旧西国街道沿いにある当社東南角には、古い道標「東、大野村在……西、……式内日岡神社」がある。日岡神社との強い関係をうかがわせる。
5柱の神を祀るため、西国街道(山陽道)沿いの山王五社宮、五社大明神、五社山神宮寺などと称され、「五社宮」と呼ばれ続けた。
戦国時代には、近くに野田城があり、豊臣秀吉の播磨攻めの際、黒田官兵衛が指揮する秀吉軍と教信寺の僧兵と野口城兵が戦ったという。
江戸時代になり、その前期の慶安4年(1651年)に社殿が、寛文6年(1666年)に鳥居が建てられ、約250年間、社僧12代により栄えた。
西国街道では諸藩の参勤交代が通り、また、伊能忠敬なども通行した。江戸時代後期には儒者・歴史家の頼山陽(1780年-1832年)が立ち寄り、下記の詞を詠んだ。
例祭は10月15日に近い土・日曜日。例大祭で、秋祭り。こどもみこしの宮入り、神輿のお渡りである神幸式、餅まきなどが行われる。
なお、当社は旧加古郡において、毎年春、3月末から5月初頭のいずれかに行われる臨時の祭り、国恩祭を行う神社の一社。
境内社に、天神社・稲荷神社・厳島神社・荒神社・山神社がある。
【ご利益】
家内安全、五穀豊穣、子宝・安産、良縁、病気平癒

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[電話]079-422-4352
野口神社(のぐちじんじゃ)は、兵庫県加古川市野口町野口にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
播磨は古く中央政権への「文化の通り道」としての役割があり、国家建設に貢献した渡来人たちが往来した。
仏教伝来の流れの中で、寺院が建てられ、古代寺院として奈良時代(710年-794年)、現社地近くに寺院が建立された。今は野口廃寺と呼ばれる。
当社の創祀・創建年代は不詳。比叡山延暦寺の守護神日吉大社を勧請した。御祭神は、大山咋命(日吉大神)。
また、品陀別命(八幡大神)・須佐之男命(八坂大神)・速玉男命(熊野大神)・天伊佐々比古命(日岡大神)を併せて祀った。
日岡大神と関連して、旧西国街道沿いにある当社東南角には、古い道標「東、大野村在……西、……式内日岡神社」がある。日岡神社との強い関係をうかがわせる。
5柱の神を祀るため、西国街道(山陽道)沿いの山王五社宮、五社大明神、五社山神宮寺などと称され、「五社宮」と呼ばれ続けた。
戦国時代には、近くに野田城があり、豊臣秀吉の播磨攻めの際、黒田官兵衛が指揮する秀吉軍と教信寺の僧兵と野口城兵が戦ったという。
江戸時代になり、その前期の慶安4年(1651年)に社殿が、寛文6年(1666年)に鳥居が建てられ、約250年間、社僧12代により栄えた。
西国街道では諸藩の参勤交代が通り、また、伊能忠敬なども通行した。江戸時代後期には儒者・歴史家の頼山陽(1780年-1832年)が立ち寄り、下記の詞を詠んだ。
近環松柏見威霊之森巖 遥面波涛知膏澤之弥満明治になり、神仏判然令によって、神宮寺は廃寺となり、社名も五社宮から現社号に改称された。
(近く松柏をめぐらした威厳に満ちた深い森を見、はるか向こうに瀬戸内の波をながめ、人を豊かにし幸福をもたらす恵みが一面に広がっていることがわかる)
例祭は10月15日に近い土・日曜日。例大祭で、秋祭り。こどもみこしの宮入り、神輿のお渡りである神幸式、餅まきなどが行われる。
なお、当社は旧加古郡において、毎年春、3月末から5月初頭のいずれかに行われる臨時の祭り、国恩祭を行う神社の一社。
境内社に、天神社・稲荷神社・厳島神社・荒神社・山神社がある。
【ご利益】
家内安全、五穀豊穣、子宝・安産、良縁、病気平癒

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